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2018年11月16日金曜日

他人の麻雀の実力ってどうやって判断しているの? その2

『それでは前回のつづき前回の続きを改めまして行きましょう。
https://susumutakenaka.blogspot.com/2018/11/blog-post_14.html

他人の雀力を”ある程度”判断するうえでどのような方法があるか?
という点になります。』
「はい。お願いします。」

『まずその前に、”そもそも実力の評価ってどうやってやるか?”という点についてです。
これは代表的な物として以下3つですね。
① 会話
② 後ろ見
③ 同卓

これらをベースに判断をします。それはイメージわきますか?』
「もちろんです。僕もやっぱまず同卓して強いかどうか判断しますし。」
『いえ。違います。』
「?」
『同卓して判断できるかは”弱い”か”弱くはないかも”位です。』

「・・・・えっ?」
『というかですね、さっき上げた評価方法、実は①②③の順番で”正確に評価しやすい方法のランキング”になってます。③同卓は最下位だと言っときますよ。』



「・・・ちょっと待ってください。」
『なんでしょう?』
同卓してもその人の実力なんてわからない、って言うんですか?」
『はい。手牌という一番重要な要素が全て隠れている状態で相手の強さなんて解るわけが無いです。ちょっと考えれば当然の事じゃないでしょうか?
例えばどんなにひどく見える放銃でも実はその人にとってはやむを得ない物かもしれないですよ?
四暗刻張ってる可能性だってある。
同卓時のイメージだけでその人の実力を判断するのは、前の日記でも述べたイケメンかで判断するのと、実はそこまで大差ないです。』
「・・・で、でも明らかに酷い放銃とかしてる人とかいますよね?」
『はい。先ほど言いました通り”弱い”という点だけは同卓してて解ってしまう時はあります。』
「、、、、あの仰る意味がいまいちわからないんですが。」

『つまり同卓してて相手の手牌が開けらる、もしくは点数などの確定している情報から、あきらかに割に合わない行為を多くしている人=弱いか否かの判断だけはついてしまう場合があります。(特に競技麻雀ではこれが明確に解るシーンが多い)
ただ一方で”強いか否か”を判断するのは同卓だけじゃまず無理です。
先ほど言った通り大半の情報は隠蔽されていますし、仮にその時の判断が理にかなっていたとしても”まぐれ”ってケースも多々ありますし。』

「な、なるほど。つまりそれが隠蔽されていない状態=後ろ見の方がその人の実力はよくわかる、と。」
『はい。そしてできればその後ろ見の後(もしくは同時に)相手の意図を会話で聞ければベストですね。麻雀は一打一打の選択よりそこに至る思考の方が複雑です。浅い思考でも深い思考でも結局目の前にある14個以下の選択肢のいずれかに集約させなければいけないわけですから。
「そういわれると納得です。」
『まあ同卓してふるいにかけ、後ろ見や会話でふるいにかけ、これで大半の人間が”ある程度の水準以上か?”は解ります。大多数の人はここで脱落します。あとは細かい査定、これは時間をかけなければ無理、という事です。』



「ちなみに、判定のポイントってなんでしょうか?」
『うーん、、、、色々とありますけどね。
まず第一に。理論に客観性があるか否か。
たとえばこの手の発言の具体例だと、
・他人に嫌われる打牌だから切らない
・信念を持って打った先でないと高打点はあがれない
こういう主観(自分のポリシー)を前面に押し出す人はその時点で”ダメだ”になりますね。
心の中で思ってる信念ってのはだれしも多少あるとしても、”議論の場で有効か否かの判断”、これが出来てない、つまり麻雀を議論・分析した経験に乏しい、って時点で^^;』
「まあ、なんとなくは解ります。そういう人っていますし。」

『そしてもう一つは自分の選択や他人の選択をメリット・デメリット双方からきっちり考えて比較してる人、こういう人は強い人が多いです。
逆に自分の打牌のメリットだけを前面的に押し出す人ってのはやっぱり稚拙さを感じます。』

「、、、そうなんですか?別にメリットの主張だって大事だと思うんですけど?」
『なんというかですね、これは考え方の違いなんですよ。
とある音楽家が”一流と二流の練習の違い”いうのを言及した有名な文章の中にある一節なんですが
・一流は苦手な部分を克服するために練習をする
・二流は出来る事を繰り返して練習する
稚拙な人というのは麻雀の議論をする際にそれを自己満足やストレス解消のためにやってるケースが多いんです。
自分の一打の正当性だけをひたすら強調するし、こっちがちょっと本気のツッコミを入れられると上述のように自分だけの理論を唱える、もしくは「実は僕もあなたと同じ選択です」とかいきなり鞍替えをしてくる。

一方で麻雀鍛錬を積んできた人って、そういう議論の場を自分の力量を高める事に力点をおいて話をしてきます。
自分の選択を含めた全選択のメリットもデメリットを開示して、”僕はこう思ってるんですけどどうなんでしょうか?”と聞いて、自分の参考になる情報を仕入れる為、間違いがあれば正してもらう機会を得る為に発言するんですね。
これは話してれば結構解ります。』

「・・・・・」
『どうしました?』
「・・・・いえ・・・・なんでもないです。ハイ」


『まあただ、やっぱりそこまで考えて議論してる人ってなかなかいないですよ。
上達するためには、自分の非と向き合い克服することが求められます。
”絶対に強くなりたい”って信念、”うまくなれる”という自信、これらがないと苦しいと思える鍛練を続ける事は難しい、
そして趣味の分野であればそこそこできれば楽しめる、
努力そのものが怖い人もいる、
大半の人は上述の”自己顕示をしたい趣味のレベル”で止まります。
そしてそれは娯楽としては健全な姿であり思考なんですよ。
僕から見るとキバヤシさんも自己顕示欲が強い方ではありますがある意味で健全な麻雀愛好家に見えてますよ^^』

「・・・やっぱり、自己顕示欲が強く見えてます?」
『はい。いつも雀荘のメンバーの女の子に自慢話とか説教してる姿はもう自己顕示その物かとw
ただ僕はそういう人嫌いじゃないです。
むしろ”麻雀やるからには上手くならなきゃ”って堅く考えすぎる人の方がダメかと。
麻雀は楽しむことが一番ですから^^』

というわけで、
こんな内容が誰かの参考になるか否か不明ですが長々二回にわたったお話でした。

おしまい

2018年11月14日水曜日

他人の麻雀の実力ってどうやって判断しているの? その1

「武中さん。こんにちわ。」
『ああ、キバヤシさん。今日も何か御用ですか?』
「以前に書いた以下の記事あったじゃないですか?
下手なのに強い人、上手なのに弱い人 その1
下手なのに強い人、上手なのに弱い人 その2

『ああ、ありましたね。』
「その中で”イケメンは麻雀が強く見える。嘘のようだが本当の話。というか、巷の雀力評価なんてそれ位テキトーだ”っておっしゃってましたね。」
『はい。言いましたね。』

「じゃあ、麻雀プロの多くは、少なくとも武中さんは、どのように他人の実力を評価してるんでしょうか?その方法ってなんですか?」
『難しい質問ですねえ・・・・』
「あれ、即答できないとは珍しい。」
『はい。実は僕自身も”自分がどれくらいの数の打ち手の麻雀の実力を正当に評価できているか?”と聞かれると凄い困ります。
そりゃまあ”ある程度の粒度の評価”ってなるまあまあ数はいるかもしれないですが。(いやこれすら自信が100%ではないけど)
でも自信をもって”この人の強さのレベルを知っている”と名言出来る相手なんて本当に限られますね。』
「そんな物なんですか・・・」


『理由は主に二つあって。
まず理由1、
麻雀の実力って減点法=どれ位ミスをしないか、で計らなきゃいけない点があるんです。
つまり正確な判断を下すにはそれなりのサンプル観察をして、その中で”どんなミスをしたか”、”どれ位の数ミスしたか”のミスの度合いを見るのが不可欠だからです。
つまりかなりの回数をみた中でないと正確な判断ができないんですよ。』

「あー、、、つまりサンプル数を省略するのが難しい=時間が絶対にかかるわけですね^^;」
『はい。”どれ位ミスをしたか”って視点はどうしても”細かい実力評価”にかかせませんので。
んで理由2、
打ち手の実力や雀風って1,2年たてば結構変わってしまうことです。これは競技選手としての勉強を続けてれば当たりまえ。
つまりこれによって”数年前なら実力を正確に把握してたけど今はワカラン”ってケースが結構あります。』


「前もそんな話されてましたね^^;」
『まあつまり僕としても”●●年前のAさんの実力はそれなりに細かく把握してた”ってケースはあります。現時点で把握が出来てる人間もちょっとはいるかもしれない。
でも常に正確に把握できてる相手なんて考えるまでもなく皆無です。
一時点で把握する事すら世間のイメージよりかなり高いハードルであり、しかもそれが出来た時点は相手の実力も常に変わってるケースが大半ですから。』

「・・・なんか聞いてるだけで非現実的な作業の気がしてきました。
でもまさかそれじゃあ実は世間のプロ同士は全然お互いの実力を見極めていない、って事ですか?

『いや、それは違います。
ここまで述べてきたのはあくまで”物凄い正確に計る”って前提です。
最初に言った通り、もっとアバウトでよければ結構簡単に把握できる部分はあります。
そしてそれによって”細かく計るまでもない”って判明する人がほぼほぼ大半だからこそ、”細かく計る事の必要性自体が低い”、ってのもありますよ。
(まあ何も考えずテキトーに他人の実力語ってる人が多くいるのも事実の一つではあるけど。)


「じゃあその方法について教えてください^^」
『まあ方法というか考え方ですけどね。じゃあせっかくなので。
キバヤシさんにとっては正直あまり役に立たない話かもしれないですが。
ただここで書いた事以外にもサークル毎の文化の違いとかいろいろな背景があって、実力評価って本当に難しいんですよ^^;』

続く

2018年11月12日月曜日

第17期雀王決定戦で覇を争った2人について書いてみる日記

最後の最後まで勝負の女神が裁定に悩んでいるかのシーソーゲームの末、
第十七期雀王決定戦は金太賢が優勝、連覇達成となった。
https://twitter.com/ClubNPM/status/1061227736784486402

19、20回戦は特に選手の吸う息・吐く息まで聞こえてきそうな激戦であり、まさに死闘だった。
なんというかこんな熱い勝負を見ると競技選手なら誰もが、
「自分もいつかこんな戦いがしてみたい」
「自分もこんな戦いをして観衆を感動させてみたい」
そんな強い興奮や憧れを感じるんじゃないだろうか。

まだ見てない人がいたら是非TSを見てください。
、、、でもやっぱこの手の興奮はリアルタイム視聴じゃないと味わえない部分はあるんだけどさ^^;
https://freshlive.tv/threearrows-ch/244750

さて改めて金についてちょっと書くとしよう。
今回の優勝により彼は昨年に続く2回目の雀王獲得となるのだが、
協会史上雀王の称号を複数回とったのは実は鈴木達也、鈴木たろう(両者とも4回)のダブル鈴木以外では彼が初、つまり史上3人目の快挙、
そして雀王連覇は鈴木たろう以来の2人目である。

「こちとら10年間からAリーグ、決定戦は5回目。達也・たろうから受け継いだ協会の麻雀にかけて初決勝の3人に負けるわけにはいかない」
そう語った姿からはまさに「協会最強」としての貫禄が漂っていた。

彼が年末の最強戦も連覇する姿、
そしてその先に見据えているであろうMリーグ、
彼だけでなく多くの協会員がその姿に期待していることだろう。


一方、最終日までの大量リードを持ちながら金の猛攻によりまさかの敗北を喫したのが下石戟である。

なんというか、こういう競技麻雀の持つ残酷さに直面する選手、
麻雀のゲームの性質上、大体の決勝では今回の下石のように「最後まで戦い続けて敗れる」という経験をする人間が必然的に出てくる。
そんな選手に対してどんな言葉をかけるべきなのか?
これは何年も選手をやっても、いややればやるほど解らない問いである。

実は僕、
彼が勝つと思って、彼との思い出話をネタにした「おめでとう下石」的な記事の下書きまで作っていたりしたんだけどね・・・

せっかくなのでちょっとだけ内容を書くと、
下石戟と初めて出会ったのが第10期雀王戦B2リーグで、
でもこの時の彼の印象はほぼ皆無、
というのも彼はこの年、たった1節だけ出て2節目以降は休場してしまったためで。

当時彼は神職の専門学校に通っていた学生だった。(あれそれとも就職したての頃だったかな?記憶曖昧。)
元々実家が神社だった彼は親の後を継ぐ勉強をしながらも、特技だった麻雀のプロ資格も取りつつそれを両立させていたのだが、
2節目の当日どうしても外せない実習とリーグ戦を両てんびんにかけた結果、泣く泣く休場を決意したらしい。

そんな彼と僕が初めて大きな接点を持ったのは、
第6回オータムCCの決勝で(彼が優勝で僕が準優勝)、
それからちょくちょくあった接点についてとか色々とかいたんだけどね。

なんかちょっと口惜しいけど、彼が雀王来年取ったらアップする予定記事として、取っておこうと思います。


・・・でもアップされる=自分が負けるって事になるので、やっぱ多分一生アップしないw

改めて宮崎も仲林もお疲れ様。
素晴らしい決勝をありがとうございました!