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2017年12月13日水曜日

最強戦とか姫ロン杯見て改めて思うが、アガ連ってそんなに皆嫌い?(・・;)

先日の最強戦を見てて思った事をもう一つ書いてみる。

各卓の激戦は非常に見ごたえのある熱戦となった一方で、
放送時間が当初予定よりも大きく押して夜中の12時を回ったという点があった。

麻雀には基本的に時間制限がない。(だからこそ時間打ち切り制限設けてる場合はあるが)
そして親の連荘という規則がある以上、時間が当初予定よりも大きく押すのは仕方がない点でもある。

ただ一方で、「もうちょっとシステムを考えられればなあ・・・」と思う点があるのも事実である。
先に言えば、システムというのは結局は主催者側が考える事であり、選手が考える事ではない。
特に今回のような放送対局の場合、主催側が「この方が面白い」として提示しているのだから、
参加者はそれに従うだけである。
でも今まで競技麻雀に携わってきた中で、感じる部分はやはりあるわけで^^;

1つ個人的な願望として、
やはり「テンパイ連荘ではなくアガリ連荘にする」って点、
これは競技生活3年目位から思っている。
というか「いっそ連荘をなくしてほしい」とも思っている。詳細は下記記事を参照。
ちなみに、どっちも賛同者はあんまりいないw

http://susumutakenaka.blogspot.jp/2016/11/1_23.html

「時間短縮」
「ラス親有利性の削減」
この2点から結構有意義だと思うわけだ。

そもそもタイトル戦の決勝の観戦、
今でこそ自宅でお酒片手にネットで見れる良い時代になったが、
数年前までは対局会場でしか見れなかった。
そして会場は着席できない場合も多い中、
決勝最終盤ともなると全員が優勝を目指すが故の長時間戦になる、
「見てる人には優しくないし、面白くないと感じる人もいるかもなあ、、」と思った事は一度ではない。

そして「ラス親有利性の削減」って点について、
トップだけが勝ち上がりの競技システムにおいて、ラス親の優位性というのは尋常ではない。
なんせ目無の人はもう何も手出しをしてこない状況になる中で、
これを引いただけでも勝率が何パーセントあがるかわかったもんじゃない、というレベルである。
今回の最強戦でもそれが如実に出たシーンはあったわけだ。

まあそれでも「それが競技麻雀」と言われればそれまでの部分もある。
「麻雀がそもそも競技には向いてない」
これは昔から提唱されている事であり、事実の側面もある。
でもまあ、この点については今回は言及しないがw

ただ個人的に意外なのは、
卓上のたった一人が勝ち上がりとなるゲームの場合、
オーラスはもう役満あがらなきゃ無意味の人が卓に二人とか生まれる事もある。
となると発生しそうなのが
・オーラス北家が役満条件 → 北家が役満だけ目指した結果、ラス親が鳴ける牌の恩恵をうけて大逆転
・オーラス、ダブル役満条件とかの人が親リーにゴリ押しして大逆転、
なんて感じの通常のフリーとかでは考えられないような押し引き=全員でのドロドロの殴り合い、
これは実際に競技大会だと発生する事もある。

が、放送にてそういったケースが出たのを聞いたことが無い点にある。
特に定期的に開催されてる姫ロン杯とかだと頻発しそうなのだがあまり聞かない。(システム細かくは知らないけどw)

いや、僕が知らないだけで既に何回も出ているのかもだが。
結構行儀よく諦めモードになってる人もいるのかな?とか思ったりもする。
そう考えると現状のシステムも悪くないのだろうか。


ついでに言うなら「親の押さえつけの為だけの先生・愚形リーチ」とかが減る面でも、
見てる人に面白くなるので結構いいと思うんですけどね、アガリ連荘。

でもまあ協会だと五十嵐代表くらいしかあんま賛同してくれないのです。
昔、「代表権限使って協会ルールを変えましょう」って言ったら、苦笑いされたっけ。

そもそも最高位戦クラッシックルールはアガリ連荘であってそれに戻すだけだし、
「できる限り巷の人達になじみやすい物にすべき」って考えるなら赤牌とか入れりゃいいのにとかもおもったりする。
中途半端な押し引きではなくキッチリとしたオリ選択が有利になる局面が増える点で、
競技性って意味でもアガリ連荘が個人的には好きだ。
とそんな昔からの競技者目線で色々と思うところを、
改めて思い出させてくれた最強戦でもありました。

おしまい

2017年12月11日月曜日

強くなればなるほど負けた時くやしくなります(麻雀最強戦2017 を見て)

「強くなればなるほど負けた時くやしくなります
むしろかけた時間の分だけ負けるとくやしいので進めば進むほどくやしくなります」

漫画「三月のライオン」で主人公の将棋プロ 桐山零が将棋についてこんな風に語るシーンがある。
直後に「将棋楽しいのか?」
って質問を受けた彼がフリーズに陥る、
コミカルな描写ながらも勝負に人生をかけている人間の矛盾を描いた、個人的には結構印象に残る場面だ。

僕ごときですらこの心境は共感できる部分があるし、
「村上さんとかたろうさんとかは負けた時にどれ位の暴風雨が心の中で吹き荒れてんのかね、、、」
とか思ったりもする。

麻雀は基本が運ゲーである。
でも、だからこそ負けた時、特にひどく納得のいかない負け方をした時、
自分の技術は勿論かけてきた時間、そして目的や意味その物を否定されたような気分になる、
この気持ちは競技選手なら一度は味わったことがあるのではなかろうか。

さて昨日、
2017年度の麻雀最強戦決勝が行われた。

優勝は当協会の金太賢、
先日の雀王獲得に続く快挙、
同じ団体のそして同じくらいの世代の男がやってくれた事についてはうれしい限りだ。

ただやっぱり負けた人たちの姿を見て、「悔しいだろうなあ・・・」と思ったりもする。


特に最後の最後まで優勝を争った連盟の猿川さんについて。
以前にこんな日記も書いた。
http://susumutakenaka.blogspot.jp/2016/10/blog-post_11.html


タイトル戦というのは究極のマゾゲーである。
 勝ち進めば勝ち進むほど次を勝ち抜く難易度は上がっていくし、
 勝ち進めば勝ち進むほど負けた時の悔しさというのは高まっていく。

既に多くの実績を上げており実力的にも日本最高峰の男が、
日本最高峰の舞台にて最後の最後で惜敗する、
想像しただけで吐きそうな位に悔しいだろうし、心の中はアイバンとかカトリーナ級のハリケーン状態になりそうだ、とか見てて思ったわけで。

そしてRMUの多井さん、
普段はのらりくらりとした風貌としゃべりだが、麻雀にかけるプライドも情熱も人1倍、いや人10倍以上だろう。
昨日にかける思いは要所要所でうかがえた。

特に印象的なのは準決勝の東場にて、
影山さんのリーチと藤崎さんの索子ホンイツに対して、
真っ向勝負で索子6sを切り出して満貫をあがり切った場面、

「俺には見えてない安全理論があるのか?」とか疑うよりも、
今日という勝負にかける多井さんの並々ならぬ決意が伝わった局だった。

金に大逆転をくらった浅井や、
猿川さんをあと一歩まで追い詰めつつも敗れた水口、
みんなみんな「悔しいだろうねえ」と思わずにはいられない。

そういえば準決勝D卓ではアマチュアの影山さんがオーラスにピンフドラ1をリーチして、
裏ドラ1枚で逆転の手を和了せずツモにかけて敗退していたが、
僕がプロになった一年目の最強戦(鈴木たろうが優勝した年)も、
準決勝にて当時連盟のクラッシャー海老海さん(記憶曖昧なので間違ってたらすみません)が、
まったく同じようなスルーをしていたのを思い出した。
損か得かじゃなくて、そこに座った本人の意思、いいんじゃないでしょうか。
見逃して負けて一日たって今となって本人はすごい後悔している可能性もある、
でもそういう想像も含めてこういうドラマは見ていて嫌いじゃない。

そしてそういった人達の思い=くやしさがあるから
優勝者は輝くわけで。



改めて金、強かった。

そして選手の皆さん、
今年も素晴らしい大会をありがとうございました!

自宅でやらなきゃいけない仕事を完全放置して見入ってしまったために、
今週は色々と激務になりそうな月曜に書いてやった日記でありました・・・・

2017年12月8日金曜日

競技麻雀を勉強した人がハマる勘違い その1

競技麻雀を多少勉強した人がハマる勘違いの代表例に、
「ヤマ読み(≒相手の手牌読み)を重視しすぎる」というのがある。

最初に言えば、これらの要素が麻雀を勝つ上で大事なファクターなのは事実である。
出来る限りヤマに多く残っている牌で待つほうがあがれる確率は高いし、
麻雀が強い人はこの能力が非常に高いのはいうまでもない。

実際に、元最高位で現フリープロの古久根英孝さんなんかは、その卓越したヤマ読み能力で知られている強者である。
RMUの多井さんも著名な存在だし、
彼らや彼らの弟子に麻雀の教えをこう人は多くいる。

ところが、
麻雀、特に競技麻雀には「条件」というヤツがある。
その条件をみたさなければ例え役満でも意味が無い。
正直に「条件を満たす事が出来なければヤマ読みもクソもない」のである。



最終局について言えば、
条件を満たしているが場に既に3枚見えていて残っていなさそうなカンチャン聴牌の方が、
条件を満たせないが場に絶好の両面聴牌、
こちらよりはるかに価値が高い。
前者は奇跡的にその一枚がいたときに勝てるが、後者は何枚ヤマにいようが負けだからだ。

そして最終局についてはその区分けを出来ても、
南場や終盤のギリギリまでヤマ読みばかりを重視して打点を軽視する進行をする人は結構見かける。
これは非効率的な悪手であるケースが多い。


上述の通り、
「条件を満たす手」「条件を一気に緩和できる手」というのはあがれた時の状況変化、いわば数値的なアドバンテージがある。
一方で
「ヤマにいそう」「あがれそう」というのは、
そもそもその精度自体に曖昧さがどうしても残る上、たとえあがれても条件的に意味が薄い。
つまり前者に劣る点がやはり多いのだ。

結局は両者のバランスを考慮して打てるのが真の強者なのだが、
そもそもの絶対的な前提をクリアする方法について強化をせずに、
その後の部分についての強化を考えるのはナンセンス、という点をここに明記しておく。

「点数計算、条件計算の出来ない強者」これは絶対に存在しないが、
「ヤマ読みの出来ない強者」これは存在する。
※無論どの程度を強者と呼ぶかにはよるがw

ちなみに過去に、麻雀における「条件」の過酷さを書いた、
「麻雀プロも投了したい」という記事を書いた事もあるので宜しければ参考に^^
http://susumutakenaka.blogspot.jp/2016/11/1_23.html
http://susumutakenaka.blogspot.jp/2016/12/2.html
http://susumutakenaka.blogspot.jp/2017/09/3.html

さて最後に、
ちょっとこれらに関係した雑記を。

先日ネットを見ていたら、こんな漫画を目にした
「あの娘を落とす間取り」

http://konomanga.jp/manga/madori


「女の子を部屋に連れ込んだ時に間取り次第で抱けるか否かが決まる!」という題材で書かれた漫画である。
読んでみるとまあ確かに面白いといえば面白い内容だった。
我が家もフローリングからカーペットにするかを検討(ry


・・・・が、そもそも
意中の女子が部屋に来て2人っきりで長時間いっしょにいてくれるとか、
つきあってない女の子がいきなり自分の部屋でシャワー浴びるとか、
そういう状況をどうやって頻繁に作りだすかをまず色々と教えて欲しい
とか思うのが男心でありました。

これぞまさに
「ヤマ読みとかの細かい技術よりも前提条件をキッチリクリアする為の手作り技術を教えて欲しい」
というヤツですね。

でもなあ、
「ヤマ読み」が麻雀ファンの多くの心をくすぐる題材であるかのように、
こういう細かい理論にほど人は引かれやすいのかなあ。
実際もうちょい読んでみたくなったし。