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2018年11月14日水曜日

他人の麻雀の実力ってどうやって判断しているの? その1

「武中さん。こんにちわ。」
『ああ、キバヤシさん。今日も何か御用ですか?』
「以前に書いた以下の記事あったじゃないですか?
下手なのに強い人、上手なのに弱い人 その1
下手なのに強い人、上手なのに弱い人 その2

『ああ、ありましたね。』
「その中で”イケメンは麻雀が強く見える。嘘のようだが本当の話。というか、巷の雀力評価なんてそれ位テキトーだ”っておっしゃってましたね。」
『はい。言いましたね。』

「じゃあ、麻雀プロの多くは、少なくとも武中さんは、どのように他人の実力を評価してるんでしょうか?その方法ってなんですか?」
『難しい質問ですねえ・・・・』
「あれ、即答できないとは珍しい。」
『はい。実は僕自身も”自分がどれくらいの数の打ち手の麻雀の実力を正当に評価できているか?”と聞かれると凄い困ります。
そりゃまあ”ある程度の粒度の評価”ってなるまあまあ数はいるかもしれないですが。(いやこれすら自信が100%ではないけど)
でも自信をもって”この人の強さのレベルを知っている”と名言出来る相手なんて本当に限られますね。』
「そんな物なんですか・・・」


『理由は主に二つあって。
まず理由1、
麻雀の実力って減点法=どれ位ミスをしないか、で計らなきゃいけない点があるんです。
つまり正確な判断を下すにはそれなりのサンプル観察をして、その中で”どんなミスをしたか”、”どれ位の数ミスしたか”のミスの度合いを見るのが不可欠だからです。
つまりかなりの回数をみた中でないと正確な判断ができないんですよ。』

「あー、、、つまりサンプル数を省略するのが難しい=時間が絶対にかかるわけですね^^;」
『はい。”どれ位ミスをしたか”って視点はどうしても”細かい実力評価”にかかせませんので。
んで理由2、
打ち手の実力や雀風って1,2年たてば結構変わってしまうことです。これは競技選手としての勉強を続けてれば当たりまえ。
つまりこれによって”数年前なら実力を正確に把握してたけど今はワカラン”ってケースが結構あります。』


「前もそんな話されてましたね^^;」
『まあつまり僕としても”●●年前のAさんの実力はそれなりに細かく把握してた”ってケースはあります。現時点で把握が出来てる人間もちょっとはいるかもしれない。
でも常に正確に把握できてる相手なんて考えるまでもなく皆無です。
一時点で把握する事すら世間のイメージよりかなり高いハードルであり、しかもそれが出来た時点は相手の実力も常に変わってるケースが大半ですから。』

「・・・なんか聞いてるだけで非現実的な作業の気がしてきました。
でもまさかそれじゃあ実は世間のプロ同士は全然お互いの実力を見極めていない、って事ですか?

『いや、それは違います。
ここまで述べてきたのはあくまで”物凄い正確に計る”って前提です。
最初に言った通り、もっとアバウトでよければ結構簡単に把握できる部分はあります。
そしてそれによって”細かく計るまでもない”って判明する人がほぼほぼ大半だからこそ、”細かく計る事の必要性自体が低い”、ってのもありますよ。
(まあ何も考えずテキトーに他人の実力語ってる人が多くいるのも事実の一つではあるけど。)


「じゃあその方法について教えてください^^」
『まあ方法というか考え方ですけどね。じゃあせっかくなので。
キバヤシさんにとっては正直あまり役に立たない話かもしれないですが。
ただここで書いた事以外にもサークル毎の文化の違いとかいろいろな背景があって、実力評価って本当に難しいんですよ^^;』

続く

2018年11月12日月曜日

第17期雀王決定戦で覇を争った2人について書いてみる日記

最後の最後まで勝負の女神が裁定に悩んでいるかのシーソーゲームの末、
第十七期雀王決定戦は金太賢が優勝、連覇達成となった。
https://twitter.com/ClubNPM/status/1061227736784486402

19、20回戦は特に選手の吸う息・吐く息まで聞こえてきそうな激戦であり、まさに死闘だった。
なんというかこんな熱い勝負を見ると競技選手なら誰もが、
「自分もいつかこんな戦いがしてみたい」
「自分もこんな戦いをして観衆を感動させてみたい」
そんな強い興奮や憧れを感じるんじゃないだろうか。

まだ見てない人がいたら是非TSを見てください。
、、、でもやっぱこの手の興奮はリアルタイム視聴じゃないと味わえない部分はあるんだけどさ^^;
https://freshlive.tv/threearrows-ch/244750

さて改めて金についてちょっと書くとしよう。
今回の優勝により彼は昨年に続く2回目の雀王獲得となるのだが、
協会史上雀王の称号を複数回とったのは実は鈴木達也、鈴木たろう(両者とも4回)のダブル鈴木以外では彼が初、つまり史上3人目の快挙、
そして雀王連覇は鈴木たろう以来の2人目である。

「こちとら10年間からAリーグ、決定戦は5回目。達也・たろうから受け継いだ協会の麻雀にかけて初決勝の3人に負けるわけにはいかない」
そう語った姿からはまさに「協会最強」としての貫禄が漂っていた。

彼が年末の最強戦も連覇する姿、
そしてその先に見据えているであろうMリーグ、
彼だけでなく多くの協会員がその姿に期待していることだろう。


一方、最終日までの大量リードを持ちながら金の猛攻によりまさかの敗北を喫したのが下石戟である。

なんというか、こういう競技麻雀の持つ残酷さに直面する選手、
麻雀のゲームの性質上、大体の決勝では今回の下石のように「最後まで戦い続けて敗れる」という経験をする人間が必然的に出てくる。
そんな選手に対してどんな言葉をかけるべきなのか?
これは何年も選手をやっても、いややればやるほど解らない問いである。

実は僕、
彼が勝つと思って、彼との思い出話をネタにした「おめでとう下石」的な記事の下書きまで作っていたりしたんだけどね・・・

せっかくなのでちょっとだけ内容を書くと、
下石戟と初めて出会ったのが第10期雀王戦B2リーグで、
でもこの時の彼の印象はほぼ皆無、
というのも彼はこの年、たった1節だけ出て2節目以降は休場してしまったためで。

当時彼は神職の専門学校に通っていた学生だった。(あれそれとも就職したての頃だったかな?記憶曖昧。)
元々実家が神社だった彼は親の後を継ぐ勉強をしながらも、特技だった麻雀のプロ資格も取りつつそれを両立させていたのだが、
2節目の当日どうしても外せない実習とリーグ戦を両てんびんにかけた結果、泣く泣く休場を決意したらしい。

そんな彼と僕が初めて大きな接点を持ったのは、
第6回オータムCCの決勝で(彼が優勝で僕が準優勝)、
それからちょくちょくあった接点についてとか色々とかいたんだけどね。

なんかちょっと口惜しいけど、彼が雀王来年取ったらアップする予定記事として、取っておこうと思います。


・・・でもアップされる=自分が負けるって事になるので、やっぱ多分一生アップしないw

改めて宮崎も仲林もお疲れ様。
素晴らしい決勝をありがとうございました!

2018年11月9日金曜日

麻雀も人狼も関係ない雑学話 その12:藤子不二雄という二人の天才について

先週の日曜に六本木森ビルの「藤子不二雄A展」に行ってきた。




https://tcv-fujiko-a-ten.roppongihills.com/top.html

藤子不二雄という名前を知らない人はおそらくいないのではないかと思うので細かい説明は省略する。
この名前はそもそも二人の漫画家による合同ペンネームであり、
1986年にコンビ解散をして藤子・F・不二雄と藤子不二雄ⓐになっているのも大体の人はご存知だろう。
そして実は1960年頃の「オバケのQ太郎」以降、すでに二人はほぼ独立した執筆をしている状態だった事も有名でもある。

さて藤子不二雄といえばF氏の代表作「ドラえもん」が国民的アニメとして今でもTV放送されているがゆえ、
A氏に「ドラえもんじゃない方」みたいなイメージを持ってる人もいるが、
実は「大ヒット作の数」という観点からするとA氏の方が多いともいえる。

「プロゴルファー猿」
「怪物くん」
「忍者ハットリくん」
「魔太郎が来る」
「笑ゥせぇるすまん」
「まんが道」
まあ「ドラえもん」が超ウルトラメガヒットだったのでそっちに印象がいってしまうのもやむなしではある。
ただ1980年代に「ドラえもん」がヒットするまで藤子スタジオのアシスタントの大半はA氏関連の仕事に従事していていたと言われているし、
ドラえもんのヒットの要因にはこれらA氏の作品の力が築いた藤子ブランドの影響力があったのもまぎれもない事実だろうし、
80年代に幼少期を育った僕としては夕方にテレビをつければドラえもんだけでなく怪物くんやハットリ君が見れたのは懐かしい思い出だ。

そしてコンビとして多くの作品を出しながら二人が非常に対照的な漫画家だったことも今では結構広く知られている。
F氏はとにかく生真面目な職人気質の漫画家であり、酒もタバコも遊びもほとんどやらない人だった。
それゆえ子供のような純粋な気持ちで少年漫画を生涯書き続け、「ドラえもん」という長編もそんな彼だから書けた、とA氏は自分と比較して語っている。

一方のA氏は対照的にとにかく多くの遊びを覚え、漫画以外の色々なメディア仕事にも取組んでいた。
作品についても様々な題材を取り扱い、一つの作品を書き続けるという点にも否定的であり、
作風も生涯一環して児童向け作品を書いていたF氏に対しコロコロと変えていった。
「誰も書いた事のないような作品を書く」というモットーで当時異色の漫画ジャンルだったブラックユーモアにも筆を進めた中、
「笑ゥせぇるすまん」という漫画史に残る名作も生み出している。

ゆえにA氏の代表作というのを定義するのは非常に難しいのだが、
やはり一つあげるのであれば自伝的漫画として知られる「まんが道」だろう。


長編を好まなかったA氏だがこの作品だけは細々と書き続け、連載は43年間にもおよび、完結したのは2013年と最近である。
ちなみにこの作品が出来た背景の一つについてA氏は、
「当時カメラにはまっており、住居だったトキワ荘や仲間の様々な記録をとっていたから書けた。僕の多趣味が功を奏した作品」と述べている。
同時期の様々な漫画家達(手塚治虫、赤塚不二夫、石ノ森章太郎 等)の描写も含めた名作ゆえに知らない人は読んでみると面白いだろう。

さてA氏は今でもご健在だが、F氏は1996年に死去している。
A氏はF氏を「自分は足元にも及ばなかった。彼は天才であり、自分は彼の力で漫画家になれたようなものだった」と常々評している。
一方のF氏はA氏のようにメディアに出るタイプではなく、A氏について述べていた記録もあまりない。

ただ職人気質のF氏からすれば、
色々な世界に自分をさらし、様々な作風を出していけるA氏の方こそまぶしいくらいの才能にあふれていて、
「ドラえもん」の大ヒットもA氏の力があったからこそ、と大きな感謝をしていたんじゃないだろうか、と個人的には感じる。
※実際二人の中はコンビ解消後も極めて良好だったと言われている。

F氏が亡くなった時、A氏は追悼として「さらば友よ」を執筆、
これはまんが道の最終章にあたる「愛…しりそめし頃に…」の単行本にも掲載されている。興味ある人は是非とも
そういえば僕自信、「愛…しりそめし頃に…」はまだ全部読み切ってなかった。
今度買おうかな。


A氏が現在84歳、
当時の仲間だった多くの漫画家は他界された中、これからも元気で頑張って欲しい次第ですね。

改めて上記の藤子不二雄A展、お勧めなので興味のある方は是非^^