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2018年6月27日水曜日

麻雀漫画について書いてみる⑰ バード 砂漠の勝負師

今日紹介するのは2000年に近代麻雀にて連載された青山広美先生の「バード 砂漠の勝負師」

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ラスベガスでマジック界の頂点に立つ天才マジシャン「バード」、彼の指はその卓越した技術ゆえ『神の指』と称されていた。
彼はとある日、日本のヤクザ・般若組から麻雀の代打ちの依頼を受ける。
最初は東洋の島国にも麻雀にも興味を示さなかった彼だが、
無敗の代打ち「蛇」の存在、そして彼の必殺技「全自動卓一人天和」の話に興味を覚え、戦いを決意する・・・

2000年当時は既に全自動卓が当たり前だった時代であり巷の雀荘でも「イカサマ」というのは絶滅していた時代でした。

そんな時代の中で「全自動卓に一人で天和を積み込む」という前人未到の大技を操る「蛇」、
そしてマジシャンとしての様々な技と視点を持ち込んでそれを解明していくバード、
彼らの対決とそこに至る様々なロジックとトリック、そして技の応酬がこの漫画の見どころです。

第2話にてバードが麻雀のルールを覚えた直後に般若組の3人と試し打ちをするシーンがあるのですが。
「ツモとは不要牌を山に数枚戻して代わりを持ってくる行為」
「相手のポン、チーは河や山をかすめ取る絶好のカモフラージュ」
「カンは王牌をすり替える為の十分条件」
「多牌は多いほど有利」
「裸単騎は最高の多面待ち」
「誤ポン、誤チーは戦術上の重要なオプション」

といったように麻雀というゲームをマジシャンという視点から見て、どのような勝つかの戦略を説いています。そして最大の謎である全自動卓一人天和にしても根本的にはその視点で描かれた技です。
このように他の麻雀漫画とは根本的に異なる視点から麻雀を描いているのですが、牌姿もけして荒い物ではなく、全体のトリックや駆け引きもきめ細かい内容で読みごたえのある作品です。

以前に紹介した「ショーイチ 20年間無敗の男 」が麻雀というゲーム領域での技を精巧に書き上げて面白さを表現しているのに対して、この漫画はその枠組みも離れたトリック領域での技を精巧に書き上げて面白さを表現している、とでも言いましょうか。
https://susumutakenaka.blogspot.com/2017/07/20.html

さて青山先生ですが、
この作品の数年後、ジャンプなどでいくつか連載経験のあった山根和俊先生とタッグを組み、チャンピオンにて「ギャンブルフィッシュ」というお色気+ギャンブル漫画を描きます。

そしてその作品で培った2人のノウハウを元に2011年からこのバードのセルフリメイクを近代麻雀で連載しております。
こちらはなんと「蛇」との戦いの続編も書いており、2018年もいまだに続いております。
https://amzn.to/2KmbE7u

本家とリメイクの主な違いは
① とにかくお色気シーン増量
原作ではドレッドヘアにヒゲのオッサンだったバードの相棒「ゴドフリー」が可愛い女の子になってたのはビビりましたw
そして単なる殺人狂的なキャラだった蛇も、SMクラブに行くわ男も女も喰いまくるわ、と設定が微妙に違う

② 蛇のトリック設定はさらに緻密に
原作でトリックの「これ無理じゃね?」って思ってた部分が科学的補足もされてさらに緻密になってます。
ここらへんはリメイクの甲斐あったかな、と。

③ 「蛇」の後の新章
・・・・すみません。1巻分くらいでお腹いっぱいになり読むのやめましたw
原作では蛇の相方(役立たず)だった不破が数年の時を経てバードに挑戦する内容なのですが、
その不破さん、蛇に強姦された影響で男にしかエレクト(勃〇)しない体になったのでバードのお尻を狙ったり、その割にはエレクトさえすれば女は抱けるらしく解説席でいきなりおっぱじめたり。
「蛇」編よりもさらにくどくなったお色気描写とあまり面白くないトリック部分にもう嫌気がさして・・・・


まあ総括として原作およびリメイクの「蛇」編、は非常にお勧めします。
上述のトリックや牌姿等の作りこみ部分はもちろん、
全自動卓一人天和を生み出すに至った蛇の狂気と執念、
それを打ち破るバードの執念、
それらが物語として非常に上手く描かれた名作です。
興味のある方は是非。

●まとめ:麻雀漫画について書いてみる
http://susumutakenaka.blogspot.com/p/blog-page_57.html

2018年6月25日月曜日

麻雀とメンタルの関係性 その2

前回の続き
https://susumutakenaka.blogspot.com/2018/06/blog-post_77.html

キバヤシ「じゃあ改めて競技麻雀でメンタル保つコツをお願いします」
『ネット麻雀の天鳳で十段になる事です』
キバヤシ「・・・・」
『・・・・』

キバヤシ「・・冗談とかじゃなくてですか?」
『半分は本気ですね。少なくとも天鳳十段は手段の一つではあります。』
キバヤシ「マジ?」
『要するに揺るがない自信を付ける為の何かを自分の中で構築する、ってのが回答ですね。』

キバヤシ「それが天鳳十段?」
『長期的な実績ってのは一番手堅いです。時間は必要ですが。』
キバヤシ「リアル麻雀で勝ち組になる、ってのはダメですか?」
『勝ち組の定義が難しいです。そして以前に別記事でも述べましたが、そもそもリアルは成績の集計が難しい問題もあります。ほぼ100%の人は成績改ざんを無意識にやっちゃうので、確固たる自信にはつながりにくい点があります。』
https://susumutakenaka.blogspot.com/2017/06/blog-post.html

キバヤシ「ネットでそれが付くってのが信じがたい・・・」
『ネット、リアルはこの際関係ないですね。
”自分はこのやり方で勝ってきた”って根拠、
これが大事で、それを長期スパンで持てるほど良い、しかも成績の精度が正確で客観的な物であるほどいい。
まあフリーでひたすら成績集計してくれる同一の店に通い続ける、でもいいですが、ネットが今のところは一番固い手でしょう』

キバヤシ「競技麻雀の成績(昇級とかタイトル)はどうですか?」
『一つの手ではありますが、スパンが短すぎるのでおすすめはしません。それ故にちょっとした瞬間に一気にくずれ落ちる可能性もあるし。
とにかく長期スパンでの成績集計を続ける事、まずはこれですね。最後に人間がすがるのは結局は自分のバックボーンなんですよ。』
キバヤシ「どーもピンとこないな・・・」
『ちょっと極端な比較例としてあげるならボクサーですね。
彼らは試合で本当に苦しい時に”今までどれだけ走ったか、練習したかを思い出す”と言います。これと根幹の部分は同じことで、人間の精神支柱って自分自身なんです。麻雀打ちも不条理にあったり苦しかったりする時こそ自分への信頼を拠り所にするんです。』

キバヤシ「そういわれるとちょっと解る気も・・・」
『たとえばね、多くのギャラリーをニコ生で抱えたり、多井さんとか村上さんみたいにちょっと有名な麻雀プロを背にしたり、その瞬間にガチガチに緊張しちゃう人とかいますよね。これは自分に自信がない事の典型的な表れです。』

キバヤシ「僕も考えただけで無理です・・・・」
『オーバーな話、そういう状況で”お前ら俺の麻雀見て勉強しやがれ!”位の気持ちを持てるメンタル、これを保つために自信を”作る”のが必要なんですよ。』
キバヤシ「武中さんもそれが出来てます?相手がたろうさんとかでも?」
『僕だって人間だから緊張はしますよwただ、できる限り自身持つように自分に喝入れます。いうなら対局本番だけは”自分が宇宙で一番強い”と信じて麻雀打つのをこころがけてますね。』
キバヤシ「宇宙・・・・」
『一方で勉強会はとかでは”自分が宇宙で一番弱い”と思ってますよ。この切り替えが大事だし、それがメンタルコントロールのコツの一種です。それをする為にも自分のバックボーンを築くべきなんです』

キバヤシ「長期的成績以外に何かありますかね?」
『とにかく色々な人に自分の麻雀に対する意見を発信して、意見を交換する事ですかね。外気に自分の麻雀をさらし続ける。』

キバヤシ「なんか自己啓発セミナーみたいですねw」
『近い物はありますよ。結局メンタルへの揺れってのは自分への自信のなさが根源なんです。”本当の自分(の麻雀)”を見られて恥ずかしくないと思ってる人は、簡単には揺れません。見られて恥ずかしいと隠したがる人から揺れるんです。
だから
・長期の成績をつける
・外気に自分の麻雀をさらし続ける
これによって自身の土台を作るんですよ。』


キバヤシ「・・・・僕にはまだまだ先の話です。というか不安って要素は不要って事ですかね?」
『いえ、さっきちょっとふれたように”実力その物の向上”にはむしろ不安の方が必要です。無駄な自信持ってるがゆえに成長しない打ち手なんて山ほどいるし。
こうなると逆に”本番で力は出しやすいけど自力で大体負ける”ってケースになりますね。
結局この両方をバランスよく併せ持ってコントロールする事が競技選手には必要、ってのが結論ですかね。』

キバヤシ「あのちょっと気になったんですけど、長期ってどれくらいですか?」
『正直この定義は一概に言えないです。ただ個人的には最低3000回くらいはないと無意味かと。本音を言えば1万回でも足りないと思ってますが。』

キバヤシ「そ、そんなに、、、、」
『はい。時間は非常にかかりますよ。』
キバヤシ「というか、そもそもそれだけの時間を費やして作った成績が自信を失うような酷い数字だったらどうするんですか?」
キバヤシ『、、、そりゃもう単純に自分の実力不足を自覚しろ、って事ですよ。これはあくまで自信の形成の仕方であって、良い成績の出し方ではありません。』
キバヤシ「な、なるほど。そりゃそうか。」

おしまい

2018年6月22日金曜日

麻雀とメンタルの関係性 その1

キバヤシ「あの・・・」
『ああ、以前に”雀荘の女性店員とお客さんのとある光景”でお話したキバヤシさんじゃないですか。お久しぶりです^^』
雀荘の女性店員とお客さんのとある光景 その1
雀荘の女性店員とお客さんのとある光景 その2

キバヤシ「どうもお久しぶりです。ちょっと今日はおききしたい事がありまして」
『なんでしょう?』
キバヤシ「ちょっと前に書かれてた、この記事で”競技麻雀でメンタルを健全に保つコツ”って奴について言及されてましたよね?」
『しましたね^^』

キバヤシ「ちょっと僕にもそれ教えてくれないでしょうか?麻雀でよくメンタルやられて負けちゃう事があって。というか今日も^^;」
『、、、、別にかまいませんが、キバヤシさんには不要だと思います。
というか無意味かと^^』
キバヤシ「・・・え?」

『前回の記事でも書きましたが、フリー雀荘でメンタル管理なんて必要ありません
無制限回数での戦いでは、アツい展開なんて物は多々あっても所詮は1回の不幸でしかない。つまり”次だ次”って考えてそれでおしまいにすればいいんです。全体に与える影響も微々たるものなわけですし。』
キバヤシ「、、、でも僕も人間だしそんな簡単には開き直れないですよ。例えば今日も3面待ちリーチでカンチャンに競り負けてからカーっとなって酷い牌ばっかり打っちゃって・・・・だから開き直りのコツが知りたいんです」

『そもそもカンチャンと3面待ちなんて勝率は25% vs 75%とかでしょ?野球の打率と大差ないしその程度で熱くなる必要がない、位に思えばいいんです。
ただそれ以上に、打牌に影響するほどメンタルやられる出来事が起きたのであれば、一旦ラス半かけて心落ち着ければいいんですよ。フリーは辞めたい時に辞める事が出来るんだからそうすればいいでしょう。(お店はちょっと迷惑でしょうがw)』
キバヤシ「そ、それは確かにそうですが・・・」
『その一点だけでもフリーにメンタル管理は不要です。勝ったり負けたりって前提はどう考えても覆せない。我々はどんなに負けていても仕事として打ち続けなきゃいけないメンバーさん、とかじゃないんです。辞めたい時にやめましょう。』
キバヤシ「はい・・・・」

『でもまあそれ以上の実態というか問題点は、あなたが通常的なメンタルの時も似たような酷い
打牌をしている自覚がない事ですね。
キバヤシ「え?」


『麻雀ってそういうゲームです。
いいですか?
例えばここに
・酷い打牌A
・酷い打牌B
があったとします。両方とも明らかにリスク高リターン低、つまり損な選択。

でもこの二つの打牌の両方が結果も酷い結果になるかと言えば否です。
”Aは見事にぶっささって、Bはすり抜ける”これは普通にあるでしょう。
というか麻雀の確率論的にはすり抜けるケースの方が多いまである。
・酷い打牌A → 12000放銃
・酷い打牌B  → しかし何もおこらなかった

キバヤシ「まあ麻雀ですから普通にありますね。これは僕でもわかります」

『はい。そしてこうなると大体の人は”Bが酷い打牌だった”という自覚が出来ない、これが一番の問題です。』

キバヤシ「、、、、つまり僕は普段から酷い打牌をたくさんしてる。けれど自覚がないだけ、と?」
『そうですね。別にキバヤシさんに限らずです。
ついてる日はこれらが酷い結果をすり抜けまくるから自覚が無い。
こういった一打一打のクオリティと勝った日、普通の日、負けた日をマトリックスにしてみました。


 勝った日普通の日負けた日
良い
打牌
良い結果大体良い結果刺さる
→ツカン!
普通の
打牌
良い結果どっちも刺さる
→酷い!と感じる
悪い
打牌
酷い結果を回避
→酷さに気づかない
刺さる
→酷いと自覚
刺さる
→酷いと自覚
全体ミスはなかった!
と錯覚
普通今日だけ酷い打牌をした!
→メンタルのせい!と誤解

一番大事なのは”全体”の部分、
つまり負けた日はたまたま悪い打牌が刺さりまくったがゆえに
→ 自分は普段より酷い打牌をしていると錯覚する。、
→ ”メンタルがぶれたがゆえに、今日はいつもよりも酷い打牌をした”と思い込む。
この事実ですね。

つまりいつもと同じレベルのクオリティの麻雀が酷い方向にぶれたがゆえに”メンタル”を言い訳にしているんです』

キバヤシ「でも人間なんですよ?多少の判断能力低下はあるでしょう?」
『あります。でも微々たるものです。ここで書かれている現象を覆せるものではないですね。
というか強くなりたきゃメンタルという言葉を使うべきではない。今回のような言い訳の原因になるから。こっちの方が事実です。』


キバヤシ「・・・・なるほど。安易にメンタルって言葉を使わない方がいいのは理解できました。
ただちょっといいですか?」
『はい』
キバヤシ「冒頭の通り、”競技麻雀ではメンタルを健全に保つ事が必要”ってのは前回書かれてますよね?」
『はい競技では必要ですね。僕はそう考えてます。』
キバヤシ「参考までにそれも教えて頂けますでしょうか?というかそれが今回の目的だったので・・・」
『まあキバヤシさんの参考になるかは別として書きましょうか。』

ただ長くなったので次回に続く

2018年6月20日水曜日

他業種の著名人が麻雀プロになる事について その1

近年、
他業界で活躍している方々が麻雀プロ資格を取ってリーグ戦に出るケースが増えている。

代表的な所を言えば
パチスロライターの沖ヒカルさん
経済評論家の勝間和代さん
漫画家の浜田ブリトニーさん

わが団体でも
現役アイドルの天月ミクさんとか、
現役グラドルの篠原冴美さんとか、
昨年に人狼舞台「TLPT」のアリスン役、吉成由貴さんがRMUに入会したのも驚いたな。
わが団体の大崎初音が麻雀プロから人狼TLPTへと参入はしていたが、
逆輸入(?)がついに出たか、と。

そして先日、
JRAにて1900勝を挙げた往年の名騎手 藤田伸二さんも麻雀プロ試験受験を表明。
これは本当に驚いた。僕が競馬好きだった学生時代に神のような存在だった方までこの業界に、と。
https://twitter.com/FujitaOfficial/status/1009172968121950208

ちなみにどうでもいいトリビア
・僕の双子の兄は藤田騎手のファンだった
・当日本プロ麻雀協会にはJRA騎 吉田豊さんの従弟がいる。

思えば10数年前に芸能事務所属の女性だった和泉由希子さんが麻雀プロになった時には話題を呼んだが、今ではそういった存在も結構ざらになっている。

そしてその時期から遥か以前より「麻雀界に積極的に絡むタレントとか他業界の方々」は昔からちょくちょくいた。
萩原聖人さんとかその典型だろう。

大体は
プロ資格とらずに部外者として絡む形だったり、
プロ資格は持てど「テレビとかでしか見たことない」って人とかだったが(まあ私がたまたま機会なかっただけなのかもだが(*・ω・))。
だが上記に実名あげた団体員の方々はリーグ戦参加とか、
麻雀関連の放送やったり店出したりとか、
かなり積極的に業界に関わっている印象がある。

さて正直に僕は
「他業界の著名人が麻雀プロ業界に介入する」という事に5年ほど前までは嫌悪感の方が強かった。
まあ知名度をもとに麻雀番組に出たりしてくれる点ではありがたかったのだが、
とにかく「自分は麻雀プロ顔負けの実力だ。キリッ」という自己主張がしたいだけに見えた点が大きい。

僕の偏見なのかもだが。
部外のお客さん(=こちらは何も言えない)という立場からこの業界に関わり続けると、
そういった思考が生まれるのは本人だけの責任ではないとは思いつつ、
とにかく“プロ顔負け”を自称して、
飲みの席とかで麻雀武勇伝とかを語る姿にげんなりした記憶も多い。

以前以下記事で理由を書いたが、
99.99%の場合において、
経験をつんだ麻雀プロや雀荘メンバー経験者と一般愛好家レベルで麻雀楽しんだ人とでは、麻雀の知識も経験も技術も比較にならない。
※まあ実力と結果が直結しない麻雀のゲーム性ゆえにその差が見えにくい訳だが。
http://susumutakenaka.blogspot.com/2016/11/2_20.html

そういう意味ではぶっちゃけ「メンバーや麻雀プロに麻雀の自慢話をする」というのは
「海外旅行十回程度の一般客が、国際線のフライトアテンダントに海外旅行の自慢する」位の行為なのだが、
にもかかわらずそういった自慢話は麻雀界ではよく見られる光景であり、著名な人にやられて( ´△`)となってしまった訳で。

 だからこそ上記の方々みたいに最下層リーグとかに出る著名人が現れたのには本当に驚いたし、
「真面目に競技をやってみたい」と考えてくれるのは長く業界にいる身として嬉しい事だし、
業界のファン層拡大にもなる、
そう思って最近は積極的に受け入れる事に賛成派である。

やる気もって勉強してくれてる人も多いと見受けている。
最近だと驚いたのは同団体だと篠原さんですかね。
協会女流の特別対局たまたま見てて、その振り返りブログとか読んで、視点の良さに。
https://ameblo.jp/dreamgrant/entry-12347443837.html

そして近年で一番麻雀界に大きな影響を持っているのが
サイバーエージェント社の藤田社長、
実際にお会いして話しても、
メディアでの言動を見ても
「麻雀プロの技術に対するリスペクト」
「麻雀と競技麻雀に対する愛情」
これらが随所にうかがえる事にビックリしたわけで。
「本当の成功者ってやっぱ人間としての器も違うのか・・・・」と思ったし、
麻雀界を良い方に持っていってくれているその姿は本当に業界人として嬉しく思う。

正直に言えば、
藤田社長が最強戦を取った時
「また麻雀プロにリスペクトを示ずに自慢話する著名人が増える、、、、」と素で考え、
決勝始まる時、心のそこから「社長だけは優勝するな」と思っておりました(*・ω・)
それが今や社長が優勝したおかげで、業界にこんな変革期が訪れるとは思わなかったのです。
こんな麻雀界の末端の一員のブログ読むとは思えないけど、もし社長がこのブログ見て不快に思ったなら、次お会いしたときは熱く焼き焦げた鉄板の上で土下座を(ry

とまあ色々と書きましたが
近年の著名な方々が本当の興味をもってこの業界に触れている姿はやっぱり嬉しい。
今後もそういった人が増えてほしい。

とまあ、
いい点を色々と書いた一方で、
選手目線で逆の点を考える事も無論あるわけで、
それに続きます。
いやすぐには続かないかもだけど、そのうちに。

2018年6月18日月曜日

麻雀漫画について書いてみる⑯ 雀鬼サマへの道

今日紹介するのは1996年~2002年に「近代麻雀 ゴールド」にて連載されていた谷口亜夢先生の「雀鬼サマへの道 」
※画像をクリックするとkindleに飛びます

今30歳前後の人には「雀鬼流」についてほとんど知らない人が多いと思うが、
僕がプロになった10数年前、雀鬼流は業界内で高い知名度と人気を誇っているコンテンツだった記憶がある。

竹書房が雀鬼流をメインに扱った月刊誌「近代麻雀 ゴールド」を発行し、
その中で雀鬼について扱っている漫画やレポートも数多く取り広げられ、
雀鬼こと桜井章一氏や雀鬼流四天王、
雀鬼流のリーグ戦についての情報は毎月入ってきていた。

この漫画はそんな雀鬼流に魅せられた谷口先生が、
雀鬼流道場「牌の音」に通い、そこでの体験や知識を基に書いた漫画である。


雀鬼流についての説明、
その中で戦略や桜井氏の考え方、
これらが内容の大半の雀鬼流入門書的な漫画でありながら、
コミカルな絵と所々の笑いを交えた柔らかい作調であり、
巷の一般麻雀ファンにはちょっととっつきにくい感のあった「雀鬼流」のファン層拡大に貢献した作品、と個人的には思っている。
実は僕もこの作品を入り口に雀鬼流にちょっとだけ興味を持ち、下北沢の「牌の音」に足を運んだ。
当時の道場長だった村瀬さんのお人柄もあって結構「面白い」と感じてその後も6、7回は通ったっけな
※そこからとある事がきっかけで通うの辞めました。これも含めて牌の音についての思い出は別記事でちょっと書こうかな


さて上述の通りこの漫画の内容の大半は雀鬼流のルールおよび桜井氏の麻雀に対する見解である。
雀鬼流のルールの主な特徴が以下の通り
① 第一打の字牌切り禁止
② 聴牌までドラ切り禁止
③ マルAを意識した南2局以降の打牌制約
それ自体が巷の麻雀とかけ離れている点が多いので、書いてる内容もそれとかけ離れた点が多い。
というかこれを差し引いても麻雀の「責任」や「流れ」って観点が強い作風は「読んだら麻雀強くなる」とは、僕の目線からするとお世辞にも言えない^^;
土田先生の大ファンとか、とにかく麻雀のオカルト論が大好きな人は読んでて面白いかもだが、「強くなりたい」と思ってる麻雀初心者・中級者に勧めるかと聞かれると僕としてはNOである。。

ただ競技選手等が「知識の幅拡大」と考えて読むのは悪くないかもな、と思ったりもする。
現代は色々な理論が発達し、それをネットから手軽に拾える中で「自分の知識から大きく外れた考え方」って奴にひたすら拒絶反応を示す若手が多いけど、
以前に以下記事でも書いた通り、「更なる上達」ってものを目指す人が自分のフィールドから明らかに一線を画した異なる考え方に触れる事は結構大事ではある。
まあこの漫画の場合は、「外れすぎてる」って可能性もあるがw
https://susumutakenaka.blogspot.com/2018/04/blog-post_30.html

更に言えば麻雀の心がまえとかについてあながち間違ってないと僕が思う点は多い。
参考までにその一コマ
全体的に自身を「初心者」とこき下ろし、桜井氏を「神様」として表現した上でのコミカルな表現は漫画としても面白いです。
まあこの記事書いた理由の一つが、現在kindleで全巻読み放題だった事を先日知ったからなので、興味のある人は知識拡大の為にも読んでみてください^^

僕も改めて今回の記事書く上で全体読み返したんだけど、
4巻、5巻は実践譜を元にした桜井氏の各打ち手へのダメ出し(主に各自の配牌とそれをベースに描くべき構想についての見解)が細かく書かれていて、
この部分が特にお勧めです。

雀鬼流の特殊ルールゆえの対応とか、オカルト的な見解とかが入ってますけど、
それを差し引いても参考になる色々な見解が含まれていて、
特に「配牌とった後に考えるべき事が何かよくわからない」って中級者位の人は読んで参考になるかと。
でもこの作品の内容をすべて鵜呑みにしてしまうのだけは勧めません。あしからずw

ちなみにこのブログでも麻雀上達するための「考え方」って点は色々と書いて以下にまとめているので、それも参考までに!w
http://susumutakenaka.blogspot.com/p/blog-page_78.html

●まとめ:麻雀漫画について書いてみる
http://susumutakenaka.blogspot.com/p/blog-page_57.html

2018年6月15日金曜日

丸の内サディスティック

女性シンガーソングライターである椎名林檎の「丸の内サディステック」という曲がある。

ずっと憧れていた大都会東京に上京したOL、
だたつまらない仕事と平行線の給料の中で悶々とした毎日に押しつぶされそうになる中、
唯一の趣味である音楽に癒されながら、
やがてパブでバイトをはじめ、
人生に倦怠感を感じながらも生きていく、
そんな鬱々とした大都会に生きる女性の日常を椎名林檎らしい散文的な歌詞とノスタルジックなメロディーで奏でた名曲である。


つい先日、ふとした事で珍しく麻雀関係以外の若い子と酒を飲む機会があった。
んで飲み会の場所に丸の内を指定され、ふとこの曲の事が頭にうかんだわけである。
まあ長い間麻雀業界で生きてると、
若い子と知り合う機会はそれなりに増えるが、麻雀やってない人と仲良くなる機会があまりないw
いや会社で社交性とかもっと頑張って発揮すれば作れるかもだが、話があわないんだもん・・・
というか「麻雀プロ業界に話が合う人が多すぎるゆえに会社で社交性を発揮しない」というのは、
会社員麻雀プロによくみられる特徴の一つであるw

んでまあ徒然と色々な話をしたが特にそんなに斬新な内容があったわけでもなかった^^;
仕事への悶々とした感覚、
趣味の話、
身の回りの人へのちょっとした悪口、
「モテるでしょ?」と聞くと「全然です」という回答、
そして椎名林檎が表現したような日々に対する漠然とした感覚、
同年代の人達が心に抱えてる事なんて似たようなものかもな、、、と思ったわけだ。
ただ麻雀界の若い子達は独特の悩み抱えてるケースは多かったりする印象があるが^^;

そして物凄く健全に21時解散とかになった。
別にガッカリとかは(ry


そのまま帰るのもなんか早いなと思ったので、
帰りに一人で久々に「丸の内ブリックススクエア」に立ち寄った。
自分が「代々木ヴィレッジ」と並んで都内で特に気に入っている空間である。

週末の夜に思い思いの時間を過ごしている人たちと綺麗な街並みを見ながら、
さきほどまでの話を思い出し、「麻雀プロやってなかったら自分はどんな生活送ってたかな・・・・」という点をちょっと考えていた。
まあやはり麻雀プロをやっていない純社会人と話をすると、この事を思い浮かべる事が多い。

、、、だが考えれば考えるほど武中進の人生は麻雀プロって道を避けることができた気がしないのであるw
21歳の時に大学の留年が決まり(1単位足らず)、
どうせなら余った時間を使って何かやろうと日本プロ麻雀協会の門を叩いた。
もし留年してなかったら多分この時には麻雀プロにはならなかっただろう。ただその数年後にはなってたと思うw

既にフリー雀荘にも行って一人で平然と麻雀打ってた麻雀バカが、
社会人として持て余している時間を使って競技麻雀をやり始める姿は想像に難くない。

でもその場合は大浜とか宮崎とか蔵あたりが「先輩」とかいう精神的によろしくない構図が想像できるし、そういう意味では「早めになっといてよかった」位の感覚しかない。
まあ「早すぎたかも」と後悔する点も多少はあるがw、結局は多少の形は違えど似たようなルートを通ったんじゃないかな、とか思う。
そんな事を考えながら散歩を終えて一人丸の内線に乗って帰路についた。

さて、
この時期の会社員麻雀プロは平日が終われば土日は大体対局である。
今週末も頑張ろうか。
土曜はリーグ戦前半折り返しの第5節、勝負所。
そして日曜日はAリーグ解説、久々である。
解説の放送URLは以下です。
是非ご視聴とTSを^^

ニコ生 http://live.nicovideo.jp/gate/lv313602112
Fresh! https://freshlive.tv/threearrows-ch/214542

ちなみに話を聞いてわかったのだが、
どうもその子は丸の内で働いているわけでなく、たまたま通勤経路的にここが良かっただけだったらしい。丸の内サディスティックじゃなかった・・・
あと文中でその子の性別については名言を控えている点も察して頂け(ry

2018年6月13日水曜日

麻雀の国際化を目指すうえでの意外な(?)落とし穴

テレビ東京の番組でベラルーシの将棋をこよなく愛する少女についての特集をやっていた。
http://www.tv-tokyo.co.jp/plus/entertainment/entry/2018/017236.html

昨年はポーランド人のカロリーナ・ステチェンスカさんが初の外国籍の女流棋士になったりと、将棋も着々と国際化の一途をたどっているのではないかと感じてしまう。
これも近年のネット生放送の普及の効果もあるのではないだろうか。

、、、が、
そんな遠い異国の少女が将棋を愛する中、将棋にまるで興味を示さない我が家の相方w

相方「外国の人がチェスじゃなくて将棋やるのって意外」
『そう?将棋の方が選択肢の多いゲームって言われてるし、のめりこむ人が居ても不思議じゃないけど』
相方「だってさ、、、」
『?』
相方「こんな日本人しか読めないような漢字で書いてある物見てよく拒絶反応起きないよね。私だったらタイ語とかアラビア語で書かれた駒とか見たらその時点で無理そう^^」
『・・・なるほど。確かに。』
相方「そういう点でもお洒落でわかりやすい駒のチェスの方が色々な国の人がとっつきやすいと思うんだよね^^」

それをいわれて改めて将棋の駒を見てみる。


世界的にも極めて珍しく複雑な漢字の表記
たしかにアルファベット文化圏の人がこの形状を観たら、ルール云々の前に拒絶をしても不思議じゃないかもしれない。
将棋を幼い頃から知っていた僕としては今まであまり考えたことが無かった視点が斬新だった。

相方「そういえばね、前から思ってたんだけど、麻雀牌もちょっと外人には解りづらいよね。」


相方「特に一番上の漢字だけのヤツ。日本人の私達からすればこれが一番解りやすいかもだけど、外人さんからしたらこれが文句無く一番わかりづらいと思うよ。」
『・・・』

今まであまり考えたことも無かった。
中学一年の時に麻雀覚えたとき、一番解りやすいのはマンズだったしその後色々な人に麻雀教えるときもマンズの説明が文句無く一番楽だった。
が、外人という視点からするとこれが一番解りにくい、というのはもっともだ。

そしてピンズが一番全世界の人がわかりやすい、という結論にもなったわけである。

今後将棋は勿論だが麻雀もますますの国際化というのを狙っていくことになるだろう。
実際に近年から始まった国際公式ルールによる世界大会、これは今後も継続していくだろうし、それ以外でも「リーチ麻雀」って物をもっと多くの外人がたしなめる環境づくりは結構大事だと思う。

が、それをなし得るために、
我々が今まで当たり前に使ってきた道具に色々と落とし穴があるのかもなあ、
と思った一日であった。
実際に将棋と囲碁の競技人口を比較すると、
国内については将棋が2,3倍のシェアを持っている一方で、海外になるとこれが逆転するとも言われている。
囲碁の白黒コマは外人にとって拒否反応がない、と言われてもうなずるし、
かの名作「ヒカルの碁」でも中国・韓国はもちろん欧米人の競技愛好家も描かれていたりする。

まあでも、
明日からいきなり将棋の王、金、銀とかがKing・Gold・Silverとかに表記変更されても違和感あるし、
麻雀のマンズがいきなり一,二、三から1,2,3とかの数字表記になっても違和感がある。
いや、「すぐ慣れる。」と言われりゃそうかもしれないが、それでもやっぱ抵抗がある。
でも麻雀の国際化の為にはルールの簡略化とか以前にまずはそういう既定観念をブチ破って色々な国の人が違和感無く楽しみやすい物にしなきゃなのかもなあ、
と思ったのでありました。

2018年6月11日月曜日

ギリギリでの殴り合いに耐えうるメンタルを保たなきゃなあ、、、と思った日曜日

6/10(日)の日程変更節

1回戦は渋川の猛攻の中で僥倖の2000-4000ツモもあり2着
2回戦は南3局にてラスの所で点棒状況の問題もあり「なんとなく」的に切った牌で傷口を広げほぼ0点のラス
「このままズルズル行くと100負けコースだな・・・」
と思った3回戦
オーラスを迎えて
こんな混戦の点棒状況(うろ覚えw)
なんとかトップ目だった。

東家 鈴木達 25000
南家 自分 30000
西家 渋川 26000
北家 浅井 19000

そして3巡目に以下の形
七九②②④46788西西南中 ドラ 4

鈴木・渋川の両名が自分の首を取りに来る事を第一にむかってくると考えると、
もうこの局で極力決めたい。
手組の様々な可能性、
特に鳴ける形を極力意識し、
場に1枚切れている西を打った。


正直にここでの打西というのは「退路を断って殴り合う」という意味合いも強い。
西を残しておけば面前主体で「形になったら勝負」という意識のもと、いざとなれば西トイツ落としで引く余地も寄こせる。
西を切るからには次に有効牌引いたら南も中も残しトイツ落としをして限界まで手広く行くのが基本になる。

素直な中切り、
安全と手役を意識した九切り、
色々ある。
何が正解かと聞かれると難しい。

ここから手牌が進み以下の形に
六七②②④446788南中 ドラ 4


想定通りにタンヤオにシフトしてきたが、
ここで親の鈴木が⑧を暗カン、直後に渋川が切った⑤をポン、
そしてドラの4を打つ。
■■■■■■■ ⑤⑤⑤(ポン) ⑧⑧⑧⑧(暗カン) ドラ 4七

4ポンすればこっちも好形の2シャンテン。
が、ここでドラ切りとした鈴木も聴牌の可能性は十分。
ここで様子見のスルーも無論選択肢として無くはない。
でも躊躇しててもトップを奪われる可能性大と考えポンして殴りかかりに行く
六七②②④6788南 444(ポン) ドラ 4

その直後に渋川がリーチ
戦々恐々としながらもトップの為にはもう後には引きたくない。
鈴木が切った八もチーして直後に③引いて聴牌、
そして結果渋川からのロン和了でトップとなった。
②③④6788 八六七(チー) 444(ポン) ロン8 ドラ 4七


和了までのプロセスを考えて、
「やっぱり自分は昔から中途半端な進行(特に序盤)は苦手だなあ・・・」と感じた局であった。
上記の通りもっと幾つか選択肢を残す進行もできたけど、
それをしながらトップを取れた自信はあまりない。

まあ「All or Nothing」的な決断の局だったが、
とりあえずAllの方の結果に「これで今日は100負けコースとかは無さそうだな・・・」とほっと一息であった。

一方この殴り合いで2着→ラスになった渋川、
だが最終半荘はきっちりと殴り合いに勝って2回目のトップ、この日さらにポイントを上乗せしている。
全体的に見て渋川のトップを取る為の決断が要所要所で実っていた一日だった。
まだ先は長いとはいえ「いい精神状態で打ててるだろうなあ」という感じである。
※僕は最終半荘は地蔵のような3着、この日トータル約▲15

改めて今節は、
「これから先の残り6節においてメンタルをしっかり管理しなきゃなあ・・・」と思った節だった。

その前のお話として、
僕はフリー麻雀等にて「メンタル」って奴を負けた理由などに出す行為が大っ嫌いである。
そもそもこの言葉をフリー等で使いたがる人の99%は
ただの技術不足、それをメンタルのせいにしているだけと考えている。
もう面倒だから100%と言ってもいいまであるかもw

人間なんて絶対にミスをするという前提等を考えると
そもそも回数無制限化で戦うフリー等においては、
1回の決断やミスがトータルに厳しい結果をもたらす事もまずない。
「次に頑張ればいい」この精神でやるべきだしそれが当然である。

ところが競技のリーグ戦等ではその「次」が限られている。(決勝とかではもっと限られてるが)
そういった戦いである以上、今回のような「All or Nothing」に近い判断局面の一回が重くなる。
つまりそこに対して健全なメンタルで適格な判断をするのは勝利の必須条件のひとつとさえいえる。

先ほどの渋川の様に勝っている時にこういったメンタル管理はそんな難しくはない。
ただ問題はギリギリの局面や負けている局面でこれを保つことである。

僕も現在のポイント状況はちょっとだけプラス程度、この先さらに負ける事もあるだろう。
「これから先まだ数節、この人達相手にこういう殴り合いをキリキリしながらやらなきゃならんと思うと気が重い」と考えつつ、
上述の「メンタル管理」を徹底しようと思ったのであった。


まあもちろんメンタル以前に、
まずは最適の決断を導き出す雀力ってのが大事だけどね。
僕もまだまだ足りてないしw

技術の方がが不足して負ける人の方が大多数だし、
上記のフリー雀荘とかでもメンタルを語りだす筋違いの人も多いので、
普段あまりメンタルについて語ったりしないのです。

ただ
せっかくなので僕なりに考える「競技麻雀でメンタルを健全に保つコツ」みたいな記事を気が向いたときにアップする
予定

2018年6月8日金曜日

フリー麻雀での出来事 その7 「あと出しジャンケン」ほかならぬ「あと出しロン」

南3局1本場
東家 20000
南家 25000
西家(自分) 37000
北家 18000

こんな状況の中、2着目の南家が早々にファン牌をポン、
そして自分が切った1にて6巡目に早々にロンをかけた。
一二三⑤⑥⑦⑧⑧11 中中中(ポン) ロン1 ドラ西

1000は2500の直撃。(1本場は1500点のルール)
「差が詰まってオーラスか」
と思ったらその2秒後に北家も唐突にロンを宣言
二三四八八②③④④⑤⑥23 ロン1 ドラ西

安めの1000点。ダブロンはあり。
ちなみに店のルール上、積み棒の1500点は北家のものになる。


まあ点数的には追加の1000点は別に痛いものではない。
というか積み棒が北家の方につく分、南家との点差はむしろ縮まらないので有難いまである。
が、アガリ形を見た瞬間(いや、ダメでしょそれ・・・)という心の声が本当に口から出る寸前だった。いや言っても良かった気もする^^;

ようするに北家は安めの1は見逃す気満々だった中、
それに対して南家がロン発声し
→ この局が終了する事が確定
→「それなら」と後追いのロン
この思考が数秒の間ではっきりと伝わったのだ。

只、これ以上それを抗議しても水掛け論になるのは目に見えている。
しぶしぶ両者に点数を払ってオーラスへと移行した。

が、厳密にもしも麻雀を「頭脳スポーツ」「競技」と考えるならこの行為はNGだし、リーグ戦とかなら立会人を呼ぶだろう。そもそも競技でダブロンがあるルールは見た事はないがw

ただ遠い昔以下のような事もあった。
・オーラス0本場、東家がホウテイ牌を切り誰も和了申告なく流局
・3着目の東家がノーテン宣言
・2着目の南家(マンガンで西家を捲くってトップ)がいきなり東家の捨て牌にロン(2600)を申告
・立会人を呼んで裁定した結果ノーテン扱い
個人的には悪質すぎてチョンボでいいと思ったが。


話をフリー雀荘に戻す。
「ダブロン」というのはごく稀に今回のようなケースを引き起こす。
そのたびに思うのが「ネットのようにロンをボタン式にしてほしい」という点である。

ネットだと今回のようなケースは無い。
両者にボタンを押すかの判定が表示され、両者が押せばダブロン、押さなかった人はたとえ他者からロンが出てもスルーで終了、もうこれは明確かつフェアで今回のようなケースを引き起こさない。
多くのプロが「ネット麻雀の方が競技の根幹部分を遵守しやすい点はある」という意見をもっているのもうなずけるところだ。

ちなみに10年くらい前にこんな事もあった。
オーラス
・私(南家)がトップ目
・東家が10000点差の2着目。他2人はさらに離れている完全な2者のトップ争い。

こんな状況で6巡目に早々と親が3フーロ
■■■■ 三一二(チー) 123(チー) 中中中(ポン) ドラ③

一方の私は同巡にこんな④⑦待ち聴牌
五六七八八⑤⑥⑦⑧⑨123 ドラ③

そしてここからが肝心
・北家がここで打④。つまり私はロンできる。
・が、すぐには声を出さずに東家がツモ牌に完全に触れたのを確認
・遅目にロンと発声
北家には「すみませんボーっとしてました」と謝罪しつつ集計をとる。

つまりこの時、
例えば東家が
「②③北北」の高め12000聴牌だった時に、ここで自分が④でロンをした事により東家が緊急回避のダブロンに切り替える可能性をケアし、もう東家がそれを出来ない事を確認後にロンをかけたのである。

凄い珍しいケースだったし、
こんな風にダブロンに予防線を張った戦略なんて事を考えたのは長いフリー経験でもこの1回だけである。

まあでも「こんな事を考え無きゃならん事自体が面倒」と今でも思うし、
やはりネットのようなロンボタンをフリー雀荘にも装着して欲しいものだ。


そんな事を思い出した翌日、
今度は自分がトップのためにオーラスの安めロン牌をスルーしたら、それをトップ目にロン宣告された。

遅ロンをかければ2000点と祝儀P。
着順は変わらないが素点等はプラスになる。
でも倒さない。
そりゃ麻雀をギャンブルと考えれば倒さないなんてありえない。
ギャンブルとして麻雀たしなんでる外人とかからすれば「Big Fish = カモ」のやる事かもしれない。
でも麻雀を競技としてやってる以上、金にはならない安い、とても安いプライドがあって、それを考えるとやっぱり声は出せない。
静かに牌を伏せて集計をしたのであった。

●フリー麻雀での出来事まとめ
http://susumutakenaka.blogspot.com/p/blog-page_98.html

2018年6月6日水曜日

麻雀とは人生の縮図か否か

ちょっとツイッターでも話題になってるこのつぶやきに対して
https://twitter.com/takeyou5_10/status/1003988963206488065

まあ言いたいことはもっともで、
確かに麻雀なんて人生と比較するほど大げさなゲームじゃないと思うのですよね。
所詮はただの絵合わせといわれりゃそれまでなのです。

ただ一方で根本的な部分は世の多くの事象に共通するところがあるのも事実で。
早い話、「根本的な部分はある程度数値基準で判断できるが結局はベクトルの違う情報をアナログで判断する事が必要」という根幹部分、
これは世の様々な事象とか仕事とかに共通して言える部分じゃないのだろうか

参考記事
https://susumutakenaka.blogspot.com/2016/12/blog-post_28.html

まあでもね、やっぱり一番「人生の縮図」って言いたい点は、「理由なき平等な理不尽さ」ですよ。
この人も他ツイートで書いているんですが、
麻雀の一番いい所って誰に対しても平等に理不尽な点なんです。麻雀はこれ結構絶妙なバランス感がある。
いやポーカーとか他ゲームはこれがどうか知らんけど、世の中には「始まる瞬間にある程度の優位性が人によって決まってる」ってゲームが結構あるし。
ぶっちゃけ人狼とかあからさまに存在してると僕は思ってたりするし。
この平等な理不尽さ、競技やると思い知るシーンが特に多くて^^;

例えばリーグ戦とかで「ここでトップとれば昇級」って時に、
ライバルの人が凄い猛烈な勢いであがり続けるのを見るときとか、
「自分が心の底から熱望する物が特に理由なく目の前の人に与えられてる」
って感覚ね。
競技選手長くやってると何回も味わうこの絶望感ですよ。

泣きわめきたいけど泣きわめいたところでしょうがなし、
人間が生まれた時からお金とか容姿とかで色々なハンデを背負ってて、
目の間には自分が欲しい物を当たり前のように手にしてる人がいて、
頑張ってそれを挽回する努力をしても不遇のまま敗れ去る事が大半、
大体は現実と妥協する。

まあそんな理不尽さを「縮図」と言うなら間違ってないんじゃないでしょうか。
と長くやってると思うわけです。

でも多くの人が同じこと思ってるだろうし、「俺ばっかり」は誤りかもしれない、
うんこの点も人生の縮図。

さてちょっと話変わって
個人的に競技麻雀やっててこの「理不尽さ」に心へし折れたシーン第1位は7年位前のB2リーグ最終節ね。

つなんだーこと綱川とB1への昇級最後の一枚争ってた中で、
オーラスまで1万5千点位リード、
そしてそのオーラスで親の綱川の12000(1副露)に5巡目で放銃、

まあ打った瞬間に崩れ落ちそうになったけど、
「結局はここまでの積み重ねもあっての結果、諦めねば・・・・(T_T)」
と思って終わった後皆で酒を飲んでた。

んで、そこにふと訪れたとある他団体の後輩の女の子
女の子「武中さん。リーグ戦お疲れまでした。結果どうだったんですか?」
ワシ「6位だった・・・」
女の子「え!?20人以上いて6位ですか!凄いですね!」
ワシ「昇級5位までだけどね・・・」
女の子「じゃあもうちょっとで昇級だったんですね!凄いじゃないですか!!」
※ちなみにこの会話の後、その場にいた彼氏とキャッキャし始める。

この子の悪意無き煽りを含めて、
「競技麻雀は人生の縮図だ・・・・」
とか思ったのでありました。


まあでも冒頭の彼のツイートの様に「大げさすぎるだろその表現」と思う人の気持ちは良く解る。
麻雀プロとか関係無しにこれは普通の感覚。
なので、特にこのツイートに僕は苦言とかないのです。

ただ一方、
前から彼に一つ苦言を言いたい点はあるのでこの際だから。

「たけなか」って名前が武中兄弟以外にいるとなんかややこしいので、
大先輩に気をつかって改名の検討を前向きにお願いしたい次第です。キリッ

以前朱雀リーグの連絡ラインにて「たけなか違い」に気づかず僕が返答しまくってまわりに注意されたのは恥ずかしかった。。。。

ちなみに麻雀界には「根本」って本名を、根本佳織に気をつかって改名した心優しい人もいます!w
と、どうでもいいオチで締めます。

2018年6月4日月曜日

百貨店のエレベーターを見て思ったバリアフリーについてのお話

※麻雀関係ないです。今日の記事は。

新宿近辺に住んで数年たつ。
もうこの駅の事はほぼほぼ知り尽くしてるし、
大久保とか西新宿とか東新宿とか新宿西口駅とかの近接駅も含めて
どこに行くにはどのルートが一番いいかとか、
駅から行きたい場所に行くための地下通路はどこ使えばいいかも、
住んで3年たったころには把握しきっていた。


でもこの数か月、改めて気づいたのが「バリアフリー」って視点、

「バリアフリー」っていうと、
真っ先にみんな車椅子の事を連想する。
ここからどうも「あまり自分には関係ない」って考える人がいるかもしれないが、
・大きなトランクを抱えた観光者
・ベビーカーを引いた親子
・足腰の悪いお年寄り
バリアフリーを必要としてる人はいくらでもいるし、
いつ自分が該当者になってもおかしくないわけだ。

んで正直に新宿駅の特に西口はバリアフリーの観点からすると、2018年6月現在かなりひどい状態である。
ホームから改札に降りれるエレベーターがほとんど無いのと新宿駅の構造上の問題で、
西口に用がある人は南口側から回る羽目になる。
足で歩けば2分だが、
ベビーカー同伴だと20分以上、なんて羽目になるポイントもざらにある。

ちなみにもっと酷い状況なのは山手線で新宿のお隣にある新大久保駅。
ここは駅にエレベーターが一切ない。(さすがに最近工事が始まったらしいが)
階段のとこに車いすを押し上げる機械はあるけど、
「バリアフリーを求めてるのは車いすの人だけじゃないんだけどなあ・・・・」
と考えざるを得ない有様。


更に問題は駅のホームの中だけではない。
新宿駅は都庁方面から3丁目方面、そして歌舞伎町まで様々な地下道が張り巡らされていて、
雨の日とかは非常に便利な作りなのだが、
この地下道もバリアフリーの観点からすると絶望的な構造のとこがおおい。
はっきりいって車いすとかでここを一人で動き回るのは無理だろう。

んでそもそも、雨の日の移動なんて、僕ら健常者は傘させばそこまで問題はない。
バリアフリーを求めてる人こそ、その設備を凄い欲してるはずなのに、
それに対して全く優しくない構造、
改めて色々と見て「なんだかなあ・・・・」と思ったわけだ。

まあでも、
これらはすぐになおせる物じゃない事位は理解できる。
ここから一番主張したい点で、
「バリアフリー」って点から新宿見直すようになって、
一番に「これどうなのよ」って思うシーンは、
駅とか百貨店とかで健常者が堂々とエレベータ使ってる所である。

いやね、「使うな」とは言わんのです。
いちいちエスカレーター探すのが面倒な時もあるし。
ただすぐそばに階段とかエスカレーターある中であなた方が無神経に使う事で、
本当に乗りたい人がすぐに乗れない、って問題を引き起こすことをちょっとは自覚してほしいと思うわけで。

早い話、
百貨店でベビーカー抱えたお母さんがエレベータを待ってて、
ドアが空いた瞬間に人が多すぎて乗れずにこれを見送る、
この光景みて違和感覚えない人が多くいるのって、「人間の本質かもなあ」と思うわけで。



自分ひとりで好きに動ける健常者からすりゃエレベーターの一回見送る位なんてことない。
でもエレベーターを待たざるを得ない人は、
一日の中でエレベーターのために遠回りして、
やっと見つけたところで健常者で満員のため見送るって行為を多分何回かしている、
これ結構なストレスなんじゃないの?と。

改めて今まで数年住んでた街を違う視点から見て色々と気づいた最近、
「人って自分の視点以外からはなかなか物事が見えないのかもなあ」と思うわけです。

実際に多分この記事読んで、
物凄い強く共感する人と、
「ふーん」って感じる人、
多分結構くっきり分かれるんじゃないかと思う。
この事こそまさに、その本質その物と思うわけです。

別にこれバリアフリーだけの話ではなく、
日常生活でも、
麻雀でも、
人狼でも、
それぞれの視点があって主張があって、
各自が各自の主張と願望で動く中、多分自分と違う視点ってのに人が思いを巡らすのって難しくて、
人と人がなかなか噛み合わないのも無理はないよなあ、、、
とか改めて色々と考えてしまったのでありました。


まあだらだら難しい事かいたけど、まとめとして。
この記事を読んだ元気な健常者の方にお願いしたいのは、
①公共施設では極力エスカレーターか階段使いましょう
②エレベーターに乗ってて車いすとかベビーカーの人が乗れなそうだったら、電車で席譲るのと同様に降りてあげてましょう
③駅の車いす用の広めの改札は極力利用を避けましょう
って点ですかね。うん。
一人でもそれを意識してくれる健常者の子育て経験がない若い人がいたなら、この記事書いた意味があるってもんです。

僕は色々と見てて最近やるようになりましたね。
これで裏ドラのるはず!キリッ
今度のリーグ戦も大体勝っちゃうね!


まあリアルな話、相手に対する優しさとかじゃなくて、
そういった考えが世の中にもっと普及すれば自分がいざそれを必要とするときに、ちょっとでも都合の良い世の中になってるかも、と思うからやってるだけです。
僕のモットーは基本的に「自分の事だけ考えて生きる」なので^^;

これ読んだ人もその精神でこれやってみてほしいと切に思ったりする。
おしまい

2018年6月1日金曜日

麻雀界の故人を偲ぶ その3:小島武夫プロ

※文中の人名はすべて敬称略です。
※当記事はあくまで筆者の主観ですので苦情等は特に受け付けません。

一つの大きな巨星が消えた
いや、
一つの大きな太陽が地平線の向こうに沈んだ、
そんな感覚である。

麻雀界の巨星墜つ「ミスター麻雀」小島武夫さん死去82歳 麻雀ファンを魅了
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180531-00010011-abema-ent

小島武夫
麻雀プロなんてよく知らないけどこの名前だけは知っている、そんな人も数多くいるのではないだろうか。
阿佐田哲也と共に麻雀新選組を結成し、まさに麻雀プロのはしりとして長い間業界の顔として戦い続け、
そして「魅せる麻雀」を信条に多くのファンを魅了し続けてきた、
そんな一人の競技プロがこの世を去った。

僕らの世代には似たような人が多いかもしれないが、
僕が初めて知った麻雀プロの名前も「小島武夫」だった。

高校生の時、「もっと麻雀を強くなりたい」と思って生まれて初めて買った麻雀戦術書が、
「小島武夫の負けない麻雀」だった。
※この著は日本で一番売れた麻雀戦術本らしい

まあ正直に、この本の内容はほとんど覚えていない^^;
覚えてるのは色々な勝負論についてのお話や、「裏スジ」の話くらいかな・・・
というかこの次に買った「安藤満の亜空間でポン」が、
僕の麻雀プロとしての原点になったまである本だったので印象的にもどうしても薄かったりもする。

ただそれでもやはり、
当時は今の様にネットもほとんどなくごく限られたメディアしかない中、
僕に初めて「麻雀プロ」という存在を知ったきっかけをくれたのが先生であり、
その後に近代麻雀を買うようになってからも漫画や記事で何度もその名前を見たし、
その10数年後に初めて王位戦で同卓させて頂いた際は、強い興奮を覚えた。
僕の麻雀プロとしてのルーツを作ってくれた方の一人であり、
それは同世代の多くのプロにとってもそうだろう。


さてちょっと話は変わる。
僕は上述の王位戦等で何度かお見かけしたことはあるが先生との個人的な接点はほぼ皆無である。
なので個人的な思い出なんかは書けない。
一方で私見を挟まずに、あくまで競技者の一人として、あくまでこの業界のファンとして見て、色々と考えた中、
「100年後の競技麻雀界は小島武夫をどう評するだろう?」
こんな事をちょっと思ったりもした。

小島武夫と言えばこの業界の第一人者であり、
とにかくファンを大事にする、
多くのファンに愛されたまさに麻雀プロの鑑的な存在であった一方、
近代の若手プロの価値観の変化を誰よりも強く否定してきた一人、でもあった。
これは事実である。

色々なところで先生が口にしていた若手の麻雀に対する
「品がない」
「格が低い」
「勝つだけならだれでもできる」
という言葉や堂々した打ち方批判、
「近年のファンの思考レベルの高さや多様性を考えると、昔の”魅せる”と今の”魅せる”って同一じゃないんと思うんですけど・・・・」
「たとえ価値観は違えど同じ麻雀を愛する人間同士として、もうちょっと理解を示してほしいんだけどな・・・・」
とか思ったりした若手も多かっただろうし、
ネット上にはそんな先生の頑強な意思を批判する競技ファンがいたのも事実である。

正直に今こうなって、先生の真意をちょっと聞いてみる機会が一度はほしかった、と思ったりもする。
自分が数十年かけて築き上げてきた価値を壊される事への拒否だったのか、
それとも我々の事を実は応援しつつもそれに対する「ファンを第一に考えろ」という叱咤だったのか。

んで上述の通り、
これらの色々な側面を含めて100年後の麻雀プロ、もしくは麻雀の研究家たちが、先生をどう評するか
ちょっと興味がわくのです。

もんの凄いオーバーな話になるかもだが、
歴史に名を残す多くの偉人は、
その人の長い人生は勿論、その後の影響も含めて色々な側面から評価を受けるケースが多い

例えば江戸幕府8代将軍の徳川吉宗、
「享保の改革」で江戸幕府の財政を立て直した名将軍、と歴史の教科書は銘打ってるが、
一方で彼の改革の根幹は農民への税金の強烈な引き上げであり、
結果として長期にわたる人口減や一揆増加を引き起こし、幕府の財政や権威を失墜させる引き金を引いた人物、という歴史評価の側面がある。

他に桶狭間で信長に殺された今川義元の後継者の今川氏真、
父の死後10年で大名今川家を滅亡させてしまったダメ主君という事実がある一方で、
実はその後に公家への知識や徳川とのパイプをフル活用し、旗本として今川家督を明治時代まで存続させたやり手、という側面は無視できない物がある。

まあ「大げさだろ」とは思いつつ、
100年後の麻雀界がどのような姿になり、どんな価値観が生まれているか、
それによって小島武夫が人々にどのような様々な評価を受けるのだろうか、
そして先生がそれに足る麻雀という歴史の中心にいた人物だった、
客観的に見てそう思うのです。


ただどんな後世の評論家も
「まず麻雀プロのはしりとして小島武夫がいた」
「小島武夫が麻雀プロという存在を大きく世に知らしめた」
という事実は全員が認めるのは間違いないでしょう。

本当に色々な先生の姿を思い出すけれど、やっぱり「敬意」という言葉しか思いつかない。
先生のおかげで今の麻雀界がある事に対する敬意、
先生という一つの大きな太陽と同じ時代を歩けたことへの敬意、
細かい話を抜きにしてこれだけは僕を含めた多くの打ち手が感じている事だと思います。

改めて最後に、
先生が築いてきたこの業界、先生が望む方向に出来るかはわかりませんが、
それでも僕が先生と同じくらいの年になった時に「後退した」とは言われないように皆で頑張りたいと思います。

本当にありがとうございましたm(_ _)m
安らかにお眠りくださいm(_ _)m