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2016年12月26日月曜日

ただ決意して飛ぶ行為、それが麻雀(第15期女流雀王決定戦)


第15期女流雀王は朝倉ゆかりでした。
クリスマスに行われた協会の女流史上にも残るであろう激戦、
朝倉・愛内・大崎のデッドヒート、
以下URLにて完全無料視聴可能ですので気になる方は是非に!
https://freshlive.tv/npm2001/69525


最後の2回戦はもはや見所しかなかったです。
夜に大浜さんと飲みの約束があったので、それまでテキトーに街を遊びまわる予定だったのですが、
Twitterを見ていたら気になりすぎて急いで一時帰宅、最後の2回を観戦、
結果飲み会を見事に遅刻しましたよw

正直14回戦見たときに、「大崎が勝ちそう」と思いました。
佐月の仕掛けに対してきっちり押し切れる肝の座り具合は流石だった。
ただ15回戦だけについて言えば、多分どんな人が打っても勝てる展開ではなかったかもしれません。

15回戦東場では「愛内が勝ちそう」とも思いました。
そして彼女については「あと一枚がきていれば・・・」というシーンが数回あった。
ただ彼女も15回戦だけについて言えば、多分どんな人が打っても勝てる展開ではなかったかもしれません。

そして愛内については、
麻雀の内容以上に対局後のスピーチがとても一番印象に残りましたね。

まあぶっちゃけ、一言一句までは覚えてないのですがw
「最終戦じゃなくてその前にもっと強気に腹を括って行ける局面もあった。
それで結果がもっと悪くなっていたかもしれないし、良くなっていたかもしれない。
どちらかは解らないけど・・・・・」
こんなだったかな?

僕の目から見ても、
二日目に愛内が強気で攻める事が出来た局面も確かにあった。
でも愛内はそこで競技選手としての自分の意思で決断をして最後まで来た。
「強気で攻めたらどういう結果になったか?」は神のみぞ知るという世界で、
ひょっとしたら優勝してたかもしれないし、ひょっとしたら惨敗してたかもしれない。
結局「たられば」は勝負の世界で意味はない。

でもやっぱりそこに対して色々な思いを巡らせるのは打ち手として当然であり、
勝てなかった悔しさと、負けた事をかみ締めるように自分の選択を振り返ってる姿が、
変な言い方をすれば「立派な競技麻雀の敗者」でちょっと泣きそうになりました。
本当に。


そして最終的な結果としては
最後の最後に神様が朝倉を選んだとしか言えない展開だったかと。

僕は以前にとある観戦記で、
「麻雀に神様がいるとしたらそれは女性。こんな気まぐれでふざけたじゃじゃ馬な神様は女性に決まってる。」
と書いたのですが、本当にその通りの凄まじいシーソーゲームの果てに、という感じでしたねw

個人的に一番印象に残ったのは
最終戦東2局で愛内の親リーチに対して、朝倉が發タンキの七対子でリーチの真っ向勝負をしたシーン

あれはもうリーチの損得じゃなくて、その時の選手の心境が色々と察する部分があり、、、(まあリーチがかなり得だとは思ってますがw)
言うならばタイトル戦の最終局面で打つ、
もう「身投げ」に近い感があるリーチだと個人的には見えて。

あの局面、
愛内に放銃すれば負けがほぼ決定だった。
一方であがれば優勝が見えてくる局面だった。
そして何より撤退や保留する事も可能だった。

でも色々と考えを巡らせて「飛ぼう」と決断した。
勝つためには現在の安全性を捨ててでも踏み出す方が有利と思い、
あえて安全地帯からの殴りあいを選んだ。

そして飛び込んだ先はもう思考とか理論とは無関係な世界で、
ただ牌の並びによる結果だけが数分後に出る、そんな世界で、
今までタイトル戦で何回もみてきた華麗な身投げが今年もクリスマスに見れたなあ、と思いましたw

タイトル戦の最後の最後に自ら決断をするのは本当に怖いけど、
恐怖を感じながらもただ決意して飛ぶ行為、
それがタイトル戦の本質であり麻雀の本質、そして快感なんじゃないかと、僕としては感じるのです。


最後に、
文中には書かなかったけど佐月もお疲れ様でした。
改めて素晴らしい決勝を見せてくれた4選手、本当にお疲れ様でした。

さて年内の協会公式戦は全て終わり、年が明ければいよいよ雀竜位A級。
頑張って決勝残って、そして飛びたい!(ハコ下という意味ではない)w



補足:
「身投げ」って表現は、某漫画のパクリです。
解る貴方は中々に福本先生マニアw