follow us in feedly このエントリーをはてなブックマークに追加

2017年4月12日水曜日

麻雀のルールについて思う事 その1

「麻雀のルールをどのようにしたらもっと実力どおりの結果になるか?将棋や囲碁に近づくか?」
という声をたまに耳にするが、これは正直にナンセンスな議論と思っている。

麻雀は不完全情報ゲームであり、
この点が将棋や囲碁のように「両者に全ての情報が見えているゲーム」と異なる。
これから新しく開示される不完全情報(ヤマにある一枚)が状況を劇的に変える可能性があるわけだ。

この性質がある以上、どのように改定したって結局は運的要素は排除できないし、
どのような変更をしたって囲碁や将棋のようになるわけが無い。

たとえば例として、
巷で耳にする「一発裏ドラをなくす」という点について考えよう。
確かにこれは一発・裏という運要素を減らす事にはなっている
ただし逆に言えば、「表ドラ」「配牌の良し悪し」というその他要素にかかる運の比重を重くしているに過ぎないともいえるのだ

昔とある競技選手(一発裏なしが公式ルールの団体に所属)が
「一発裏ドラなしの方がより運ゲーになる。選択は少なくなるし、どうしようもできない半荘が多くなる。」と言ってたことがある。

これは僕も一部だが賛成であり、
一発裏やノーテン罰符といった付属要素が少ないルールになればなるほど、打ち手にもとめられる選択はどんどん少なくなるし、「無理ゲー」の回数が増える側面はあるのだ。

10年ほど前にとあるタイトル戦(一発裏ドラなし、ノーテン罰符なし)の決勝にて、
そこまで数回の半荘でトップを重ねてダントツトップだったA選手が、
最終戦オーラス、たった一回の16000オール(四暗刻)で大逆転をくらった例もある。

協会ルールなら一回の役満はせいぜいトップ1回の価値だし、半荘数回をひっくり返す逆転要素とはならない。
つまり「一発裏ドラなし」=「運要素排除ではない」その一例と言えるだろう。


まあ結局のところ先に結論を言えば、
「本当に実力だけのゲームで勝負したいなら囲碁か将棋をやるべき」と言ってしまえるだろう。

実も蓋も無い言い方だが、
麻雀というのはその「気軽さ」があるからこそ非常に多くの愛好家を持っているのである。


麻雀を囲碁や将棋と同じ位置へ、
こう考えて目標とする麻雀プロはやっぱりいる、というかそれが普通かもしれない。
けれど僕の考えはちょっと違う。

僕としては、
麻雀とはラーメンやカレーのような大衆食で、
囲碁や将棋というのは高級フランス料理や日本料理に近いと思っている。

両者は求められる質にも価格にも当然差があるし、
専門家と呼ばれる人に求められる物も違えば、扱われ方も違う。

でも両方とも社会に必要なもので、
両方とも専門家と呼ばれる人は知識と技術が必要である。(客からの扱いは違えど)

気軽さがなくなったラーメンなんてそれこそ存在意義に疑問が出るし、
無理してラーメン屋が日本料理の板前に対抗するのもちょっと違うと思うのだ。

まあちょっと話がそれましたが、引き続きルールについてのお話が続きます。