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2016年11月23日水曜日

麻雀プロだって「投了」したい その1

「麻雀は投了ができない」
これは本当に辛い点である。

1回1回の半荘でも「もうこのゲームはいいや。次いきたい」という事は多々あるが、
それ以上に複数回のトータルスコアを争う戦い、
いわばタイトル戦やリーグ戦について特にこの問題が出てくる。

まあ将棋・囲碁でもタイトル戦勝ち抜け条件0というケースは無論あるだろうが、
競技麻雀の大半のルールでそれ以上に厄介なのは、
「現実的にはもうほぼ勝ち目はない」という状況でも、
「とてつもない奇跡が起きて勝つ可能性」というやつが存在している点である。

例えばタイトル戦の予選にてどんなに酷いマイナスであっても
「最終戦30万点トップ」という数字上では実現可能な条件が出来る事が大半である。
そして親の連荘がある以上は目はあるのだ。一応。

でもこれはもう現実的にはほぼ不可能と考えていい。
もしも投了が出来るならとっととして、一足先に近所の居酒屋に行って酒を飲みたい、という事は多々ある。
対局料が出る戦いなら全く別問題だが、現実的にはなかなかそうではないし。

そして投了できない以上は渋々全力を尽くすのみである。
この「全力ゴリ押し」、今まで数多く経験してきたが、むなしくなる事がやはり多い。

自身の体験で良く覚えている物は、協会主催タイトル「日本オープン」の第9期、
ベスト16の足きり前最終戦にて9万点トップ条件を課せられた僕は、
南3局最後の親番時に、
下家に白・發・中を全部ポンさせた上で場に2枚切れのカンチャンでリーチをかけて立ち向かった。
あがらなければ敗退が決定してしまうのだからもうそれ以外に選択の余地もなかったが、
それを鳴いた五十嵐毅代表および同卓者が苦笑いしていたのは今でもよく覚えている^^;

個人的には、
麻雀を競技にするのなら、連荘というシステムは無くして欲しいとさえ思っている。
というか親の特権すらいらないと思っている。
・・・まあ賛同者はほぼ皆無なのだが^^;

さて、話を戻す。
「ほぼ不可能な条件だが、奇跡のためにゴリ押しする」という行為、
これは自分よりもむしろ同卓者の勝ち抜け等にも大きく影響する行為と言えるかもしれない。

僕自身は「自分の得だけ考えて打つ。そうしないと自身の麻雀もゲーム全体も崩壊する」と思っているが、
「勝ち目なんて無いのだから大人しくしてろ。場を荒らすな。」という考えをする人もいる。

最近では
「麻雀に迷惑じゃない一打なんてない」
「自分が卓内で手加減すれば卓外の他の人達が不利益をこうむる」
といった考え方が普及してきたが、

それでもやはり従来の「迷惑をかけない」という考え方をする人は多い。
特にリーグ戦の最終戦最終半荘は、
「降級確定」「残留確定」といった人達がとにかく静観に徹するのをよく見る。
まあ「同卓者への最後の決定打を自分が打ちたくはない」という気持ちは良く解るが^^;

でも私は「自分自身に言い訳(?)して普通に打つ」という点を進めている。
大きな理由として、そうしないと多分今後の長い競技麻雀人生でぶれた麻雀を打ち続けてしまう、そう思っているからである。

まあ長くなったので、気が向いたときに次の記事で「普通って何?」って点も含めて続き書きますw