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2017年3月8日水曜日

「自然」「普通」というけれど、意外に定義は難しい

改めて、昨日の協会ネット麻雀リーグ「しゃるうぃ~てんほう」
ご視聴頂いた皆様ありがとうございました。

Fresh! ⇒ http://live.nicovideo.jp/watch/lv291822850
ニコ生 ⇒ http://live.nicovideo.jp/watch/lv291822850

やっぱり天鳳を打ちなれている各人同士の戦いとあって、
結構参考になる選択が多かった。
3回戦なんか特にそれを意識したダマテンでの場まわし等が顕著に出てて、僕としても勉強になりました!^^


そんな4者のしのぎあい、
そして繰り広げられる「やまーん(山中浩樹)サスペンス劇場」、
宜しければURLより是非ご覧ください。特に「Fresh!」は永久無料!

そして改めて
今回で▲24Pというダントツ最下位になったやまーんの立場を見て改めて思ったお話を。


以前こういう状況について、「麻雀プロも投了したい」という観点から2つほど記事を書いた。
http://susumutakenaka.blogspot.jp/2016/11/1_23.html
http://susumutakenaka.blogspot.jp/2016/12/2.html


しかしこれら記事にある”厳しい状況”であっても、
麻雀には素点という概念があり、「0.00000000000000000001%の目はある」と考えると、
「100%の目無し」という条件はそう簡単には生まれない。
まあ最終戦南場で親が落ちた後に「条件無し」といった状況はちょくちょく生まれるが、
大体の場合では「100万点トップを取れば優勝、という考えに基づいて強引に打つ」、というのがまかり通るのである。

ただ今回のやまーんについは、
おそらく後2,3回後に「全く目の無いまま半荘を数回打つ」という展開になるだろう。
※ちなみに計算してみたら現時点では8連勝した後に、周りに奇跡の並びができれば足きり回避があるようだ。

こうなると、
改めて「普通って何よ?」という疑問が僕の中では出てくる。
いやまあ、「普段のフリーの通りにあくまで一回の半荘としてトップや2着を目指す」と言われればその通りなのだが、
上記の通り普段の競技大会では「ひどく薄い目でも常にその条件を満たす為に無理をする事」こそ”普通”であり、「フリーのように打つ」は僕の中では"普通ではない"のだ。

そしてリーグ戦とかなら例えもう実質降級決定に見えても、「トップさえとっておけば周りの展開で奇跡がおきる」という言い訳?の元に、「普段のフリーの様に」となるが、今回のような完全順位戦ではそれすら期待できないケースが出てくる。
これはかなり異常な事態と言えるだろう。

そんな彼の立場を思った時、
「普通の定義は本当になんだろう」、と改めて感じてしまった。


そういえば昔、リーグ戦最終節でこんな事があった。

同卓者および状況は以下の通り
①Aさん 箱下10万点ラス引かなければ昇級
②Bさん 箱下10万点ラス引かなければ残留
③Cさん 箱下4万点ラスを引かなければ残留
④私 箱下2万点ラスを引かなければ残留

さすがにこうなると、普段とはかなり異質な戦いが展開された。
特に私とCさんは徹底して場をまわし、残り二人もそれに同調する形であっというまにオーラス、
親番の私は50,000点のトップ、つまりトリプル役満を放銃しなければ残留である。
ほか三人も条件は十二分に満たしており、「後は親の武中が伏せて終わりだな・・・」という空気が卓上には流れていた。

・・・が、ここで僕が思ったのはただ一つ、
「降級の目はもう実質ほぼ0。ならばここから素点をできる限りかき集めて昇級を目指す」である。

ちなみに必要な素点は約20~30万点、まあほぼ無理。
でも僕にとってはここからはもう自分の素点を限りなく叩きに行くのが「普通」だったのである。

そこからは猛プッシュをして親のあがりを繰り返したが、
昇級には17万点ほど足りずに終了した。
同卓者の「空気読んで」という苦笑いがあったのは言うまでもない。


が冗談交じりで言われる分には別に冗談で返したのだが、
後から観戦していた後輩に「普通に打ちましょうよ最後まで」とガチ気味の文句を言われて、ちょっと本気でイラっとしたのだった。

この時も昨日と同じく「普通の定義」ってヤツを考えざるを得なかった。


さて改めて、どこまでが目無しか?
というのは非常に議論がし辛いのが競技麻雀である。

ただそれでもやはり投了できない以上は、「物理的な道筋」というのを最後まで追うのが僕の中では「普通」である。
競技麻雀慣れしてない人は今までの経験だけで考える為、この諦めが2,3歩早い。
でもそこに対してほぼ不可能な条件を泥臭く探さなければ競技選手ではない。
これは昨日のサスペンス劇場の主役であったやまーんについてもそうである。彼もまだ物理的な残留の目はあるわけだ。
・・・・まあでもあと数回打ったらおそらく物理的な目無しになるだろう。その時はもう本当に「フリーのつもりで」が普通、、、、なのかなあ?
改めて「投了」を作ってくれないだろうか、と昨日も思ったのであった。