若手と麻雀の議論をするとき、
常にこの言葉を頭に思い浮かべて話をするようにしている。
これは将棋界にその名を残した故・米長邦雄永世棋聖の言葉である。
米長氏については以前以下記事でもちょっと触れたが、
多くの勝負事における考え方や言葉を残しており、
米長哲学は今でも多くの棋士の中でいき続けているといわれている。
http://susumutakenaka.blogspot.jp/2016/12/2.html
そして氏を語る上で欠かす事が出来ないのが、
史上最年長50歳での名人位獲得である。
多くのタイトル歴があった氏が、宿敵中原誠を破り将棋界の最高峰タイトルを獲得した事、
その大きな要因として「若手との研究」があった事はとても有名だ。
そして特に有名なエピソードが、森下卓氏(現九段)との以下のやり取り
【「升田幸三の孤独」より引用】
今から25年前、
「長野将棋まつり」の帰路の途中で、米長と森下卓がいっしょになった。
そのときの森下は、C級2組(最下層リーグ)を抜けだせずにもがいていた。
その森下に「研究会をやって、教えてくれないか」と米長は持ちかけた。
才能ありと見ていたのは確かだろうが、伸び悩んでいるから鍛えてやろう、との気持ちがあったと思う。
それに対し、すかさず森下が答えた。
「私は、私より強いか、私より熱心な人としか研究会はしません」
今になって森下は、大先輩になんて無礼なことを言ったのか、と思い出すたびに冷や汗をかいているとか。
しかし、森下の強くなりたいとの思いは米長に通じた。
「君より強いかどうかはわからないが、熱心さなら君に負けない」と言い、二人の研究会が始まった。
・
・
・
・
・
米長氏は至る所で「若手から学ぶ事」「自分を変革させる事」についての大事さを説いている。
長年の棋風も自分の立場もかなぐり捨てて若手を「先生」とよび自分の将棋を大きく見つめなおした事、
この姿勢により最新の棋風を取り入れた事、
それにより悲願を達成した事は将棋界の色あせない逸話の一つだ。
実際に麻雀においても技術というのはほっとくとサビ付く。
これは当人の問題もあるが、周りの問題もある。
世間の傾向が変ったりレベルが上がれば昔の強者もあっという間に弱者になる。
そしてもう一つ
【米長邦雄の名言】
「若者に教えを請う」と言っても世の中ギブ&テイクですから、ただ飛び込むだけでは無理があります。
若者だって尊大な年寄りが自分たちの中に割って入ってきたのでは嫌がるばかりです。
「一緒に研究をする」という謙虚な気持ちと情熱がなければ、若者は去っていきます。
これは金言かと
競技選手が一番意識すべき点、
これは「技術のギブアンドテイクへの意識」だと個人的に思っている。
実際に米長氏は森下氏に教わりつつ、教えるつもりだっただろうし、森下氏もそうだったんだろう。
いや本人達にそんな意識はなかったのかもしれない。
それでもお互いの技術と意見を立場に関係なく素でぶつけあった結果、
米長氏は名人を獲得し、森下氏も九段まで上り詰める名棋士となったわけである。
競技の技術とはそういう性質を持っていて、お互いの意見を正直にぶつけ合う事こそが、最良の上達法なのである。
そして誰も自分の技術を簡単に無償では教えてくれない。
正確に言うなら自分が良いカード(情報)をださなければ相手も良いカードを簡単に提示してくれない。
そして相手を対等な打ち手として信頼する事、される事も大事である。
信頼される事、同じ志を持つ事、こっちが相手にとって価値があると思わせる事、
相手が隠しているカードを引っ張りだすには、技術と謙虚さと本音、いずれもが大事、
これを上記の言葉は表しているのではなかろうか。
「教わろう」とだけ考えるのも、
「教えよう」とだけ考えるのも、
実はあまり宜しくない、と思うわけです。
まあそれ以前にまず独力の勉強も大事。
カラ手じゃ相手も何も出してくれない。競技選手とはそういう関係性をすくなからずも持っているので。
うーん、、、言いたい事伝わるかな。微妙だけどまあいいか。
ようやくの週末。皆さん楽しみましょう。