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2018年6月1日金曜日

麻雀界の故人を偲ぶ その3:小島武夫プロ

※文中の人名はすべて敬称略です。
※当記事はあくまで筆者の主観ですので苦情等は特に受け付けません。

一つの大きな巨星が消えた
いや、
一つの大きな太陽が地平線の向こうに沈んだ、
そんな感覚である。

麻雀界の巨星墜つ「ミスター麻雀」小島武夫さん死去82歳 麻雀ファンを魅了
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180531-00010011-abema-ent

小島武夫
麻雀プロなんてよく知らないけどこの名前だけは知っている、そんな人も数多くいるのではないだろうか。
阿佐田哲也と共に麻雀新選組を結成し、まさに麻雀プロのはしりとして長い間業界の顔として戦い続け、
そして「魅せる麻雀」を信条に多くのファンを魅了し続けてきた、
そんな一人の競技プロがこの世を去った。

僕らの世代には似たような人が多いかもしれないが、
僕が初めて知った麻雀プロの名前も「小島武夫」だった。

高校生の時、「もっと麻雀を強くなりたい」と思って生まれて初めて買った麻雀戦術書が、
「小島武夫の負けない麻雀」だった。
※この著は日本で一番売れた麻雀戦術本らしい

まあ正直に、この本の内容はほとんど覚えていない^^;
覚えてるのは色々な勝負論についてのお話や、「裏スジ」の話くらいかな・・・
というかこの次に買った「安藤満の亜空間でポン」が、
僕の麻雀プロとしての原点になったまである本だったので印象的にもどうしても薄かったりもする。

ただそれでもやはり、
当時は今の様にネットもほとんどなくごく限られたメディアしかない中、
僕に初めて「麻雀プロ」という存在を知ったきっかけをくれたのが先生であり、
その後に近代麻雀を買うようになってからも漫画や記事で何度もその名前を見たし、
その10数年後に初めて王位戦で同卓させて頂いた際は、強い興奮を覚えた。
僕の麻雀プロとしてのルーツを作ってくれた方の一人であり、
それは同世代の多くのプロにとってもそうだろう。


さてちょっと話は変わる。
僕は上述の王位戦等で何度かお見かけしたことはあるが先生との個人的な接点はほぼ皆無である。
なので個人的な思い出なんかは書けない。
一方で私見を挟まずに、あくまで競技者の一人として、あくまでこの業界のファンとして見て、色々と考えた中、
「100年後の競技麻雀界は小島武夫をどう評するだろう?」
こんな事をちょっと思ったりもした。

小島武夫と言えばこの業界の第一人者であり、
とにかくファンを大事にする、
多くのファンに愛されたまさに麻雀プロの鑑的な存在であった一方、
近代の若手プロの価値観の変化を誰よりも強く否定してきた一人、でもあった。
これは事実である。

色々なところで先生が口にしていた若手の麻雀に対する
「品がない」
「格が低い」
「勝つだけならだれでもできる」
という言葉や堂々した打ち方批判、
「近年のファンの思考レベルの高さや多様性を考えると、昔の”魅せる”と今の”魅せる”って同一じゃないんと思うんですけど・・・・」
「たとえ価値観は違えど同じ麻雀を愛する人間同士として、もうちょっと理解を示してほしいんだけどな・・・・」
とか思ったりした若手も多かっただろうし、
ネット上にはそんな先生の頑強な意思を批判する競技ファンがいたのも事実である。

正直に今こうなって、先生の真意をちょっと聞いてみる機会が一度はほしかった、と思ったりもする。
自分が数十年かけて築き上げてきた価値を壊される事への拒否だったのか、
それとも我々の事を実は応援しつつもそれに対する「ファンを第一に考えろ」という叱咤だったのか。

んで上述の通り、
これらの色々な側面を含めて100年後の麻雀プロ、もしくは麻雀の研究家たちが、先生をどう評するか
ちょっと興味がわくのです。

もんの凄いオーバーな話になるかもだが、
歴史に名を残す多くの偉人は、
その人の長い人生は勿論、その後の影響も含めて色々な側面から評価を受けるケースが多い

例えば江戸幕府8代将軍の徳川吉宗、
「享保の改革」で江戸幕府の財政を立て直した名将軍、と歴史の教科書は銘打ってるが、
一方で彼の改革の根幹は農民への税金の強烈な引き上げであり、
結果として長期にわたる人口減や一揆増加を引き起こし、幕府の財政や権威を失墜させる引き金を引いた人物、という歴史評価の側面がある。

他に桶狭間で信長に殺された今川義元の後継者の今川氏真、
父の死後10年で大名今川家を滅亡させてしまったダメ主君という事実がある一方で、
実はその後に公家への知識や徳川とのパイプをフル活用し、旗本として今川家督を明治時代まで存続させたやり手、という側面は無視できない物がある。

まあ「大げさだろ」とは思いつつ、
100年後の麻雀界がどのような姿になり、どんな価値観が生まれているか、
それによって小島武夫が人々にどのような様々な評価を受けるのだろうか、
そして先生がそれに足る麻雀という歴史の中心にいた人物だった、
客観的に見てそう思うのです。


ただどんな後世の評論家も
「まず麻雀プロのはしりとして小島武夫がいた」
「小島武夫が麻雀プロという存在を大きく世に知らしめた」
という事実は全員が認めるのは間違いないでしょう。

本当に色々な先生の姿を思い出すけれど、やっぱり「敬意」という言葉しか思いつかない。
先生のおかげで今の麻雀界がある事に対する敬意、
先生という一つの大きな太陽と同じ時代を歩けたことへの敬意、
細かい話を抜きにしてこれだけは僕を含めた多くの打ち手が感じている事だと思います。

改めて最後に、
先生が築いてきたこの業界、先生が望む方向に出来るかはわかりませんが、
それでも僕が先生と同じくらいの年になった時に「後退した」とは言われないように皆で頑張りたいと思います。

本当にありがとうございましたm(_ _)m
安らかにお眠りくださいm(_ _)m

2017年8月18日金曜日

麻雀界の故人を偲ぶ その2:飯田正人プロ

いよいよ8/20(日)から最高位戦Classicの決勝が始まるにあたり、
今日はこちらの故・飯田正人プロについて書いてみようかと。

※記事が記事なので全体が敬語調の文章になります。ご承知置き下さい。

飯田先生は最高位を合計10回(14期~17期においては4連覇を達成)獲得し、「ミスター最高位」「永世最高位」と呼ばれたまさに最高位戦史を代表する打ち手、「大魔神」の愛称でも親しまれていました。
無論僕ら世代のプロの多くが憧れ目標とした選手です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%AF%E7%94%B0%E6%AD%A3%E4%BA%BA

飯田プロの経歴などは上記のWikipediaをごらん頂ければと思いますので、ここではそれ以外の事を。
飯田プロを語る上で絶対に欠かす事のできない存在は現在でも最高位戦Aリーグにて現役で戦っている金子正輝プロでしょう。

お2人は最高位戦に第6期に入会した後(デビューしたリーグは別)、
ともに最高位戦を代表する選手として戦い続け、数々の死闘を最高位決定戦にて繰り広げる事になります。

※以下記録は2017年6月現在
飯田先生、金子先生の最高位決定戦出場回数は両者とも19回、無論1位の記録、
そしてお2人は決勝にて11回対戦しています。これも同一選手の決定戦対決数にて堂々の1位。
さらに飯田先生の最高位10回が歴代1位なのに対して、金子先生は4回で2位、まさに両者が同団体のトップとして戦い続けた証といえる数々の記録となっております。

しかし直接対決の結果だけを見れば11回中10回飯田先生が最高位を獲得、
一方で金子先生は飯田先生がいる決勝では1回しか勝てなかったという事実があります。(24期)。
そもそも飯田先生が「金子先生がいる決勝では90%以上優勝している」というのも凄い事であり、数字だけをみれば飯田先生の圧勝、まさに金子先生にとって飯田先生が天敵だったといえるでしょう。

ですが世間の打ち手としての人気はどうだったかといえば逆だったかもしれません。
独自のキャラクターと「牌流定石」にて人気だった金子先生に対して、
極めて自然な進行を好んだ寡黙な飯田先生を実績とは逆に”地味”と見るファンもいました。
その点でもまさに対照的だった二人と言えます。

ちなみに僕は生前の飯田先生とお話した事がほとんどなく、お会いしたのは第3回のTwinCupに出場して頂いた時のみでした。
この時生まれて始めて(そして最後の)同卓もさせて頂き感動したのは良く覚えてます。

さてそんな飯田先生について僕がよく覚えているのはやはり最高位決定戦についてです。


まず第33期、
この年飯田先生は5年ぶり9回目の最高位を獲得するのですが、
その時に最後まで優勝を争ったのもやはり金子先生でした。
3日目までは金子先生が首位を独走する中で飯田先生が猛烈な追い上げを見せデッドヒートの末勝利、歴代トップの2人の争いに多くのギャラリーが酔いしれた名勝負です。

そして第35期、飯田先生最後の決勝がこの年でした。
始まる前から「これが最後」と先生が言っていた為、当日の決勝会場には他団体の選手もおおく駆けつけた中で行われました。
飯田先生は準優勝に終わりましたが、会場のほとんどがその最後の勇姿に対してあつい応援を送った一日
・・・というか村上さんがあんなに応援されていない状況は後にも先にも見たことがないです。僕の思い込みかもですがw

この年は対局後の各人のスピーチも本当に心打たれる物がおおかったです。
佐藤崇さんが自分の不運に嘆きながらも
「少なくとも今の僕には勝ちを見出せる展開はこなかった。未熟でした。」
と語った事、

村上さんがそんな佐藤さんを
「自分には無い強さを持っている」と称し、実際に村上さんだからこその強さで初の最高位を勝ち取った事、



でも何より飯田さんが
「今年を最後と思っていたけど戦い終えて改めてまた頑張りたくなった」と言ったのを聞いて、
その場に居た多くの人が拍手を送っていたのを記憶しております。

それだけに2012年の復帰予定前の死去のニュースは本当に残念でした。多くの人が涙を流していた姿も覚えています。

そしてその生前の功績をたたえられて「最高位戦Classic」は「飯田正人杯 最高位戦Classic」と名称変更されることになるわけです。
この事が決定したとき、生前飯田先生にお世話になった多くの選手が
「もしも本人がこれを聞いたら”ガラじゃないからやめてくれ”と苦笑いするだろう」
と言ったのも、先生の人となりを示す有名なエピソードだと思われます。


さて今年の決勝がいよいよ8/20(日)に始まります。
先生も天国で見守っていると思われるこの戦い、私も放送見ながら楽しませて頂きたいかと思います。
選手の皆さんがんばって下さい。
僕の注目は協会の堀慎吾。
世間の知名度はそこまで高くないかもですが、その実力の高さは多くの選手が認めている名手です。
・
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・
最後に、
すみません先ほどの第35期最高位戦のコメントについて、
水巻さんだけ何を喋ってたか思いだせませんでした。
どなたか覚えている人がいたら僕にこっそり教えてくださいm(_ _)m
水巻さんオチに使わせて頂いて申し訳ありません^^;
色々と尊敬してます!キリッ


決勝一日目放送URL
ニコ生 ⇒ http://live.nicovideo.jp/watch/lv304759940
Fresh! ⇒ https://freshlive.tv/threearrows-ch/144186

2016年12月8日木曜日

麻雀界の故人を偲ぶ:安藤満プロ

映画「聖の青春」を昨日見てきた。

http://satoshi-movie.jp/


原作は見たことないのだけど、
将棋はそこそこ好きなので村山聖さんの事は当然知っている。
感想として、派手さはないけれどテンポの良い展開と力強い演技が光った良い映画だったと思います^^
村山さんの将棋にかける思いや棋士の将棋にかける熱い思いを感じる名作でした。見てない人には是非お勧めしたい。
まあ個人的には、谷川さんとの王将戦とか手術明けの丸山さんとの伝説の一戦とか、もうちょい触れて欲しかったかも。
・・・・多分時間の尺的にやむを得ずなんでしょうね。原作では扱われているだろうから読んでみよっと^^;


さてタイトルにもあるのですが、
今日はちょっと麻雀界でもかって一時代を築いた故人について触れてみようかな、と。
故・安藤満プロ


正直今でも現役バリバリの選手の中には、
安藤さんと凄い親交があった人もいるので、僕なんかが書くと薄っぺらいかもなんですけどね^^;

最近の平成生まれのひとたちの中には知らない人がひょっとしたらいるかもですが、
安藤さんは昭和および平成初期の麻雀界に一時代を築いた実力派プロでした。
四回の鳳凰位をはじめとしたタイトルを獲得しており、
そして何より「ツイてない時は普段と逆の打ち方をする」という定石「亜空間殺法」で多くのファンを魅了した方でもあります。

ただ一方で、初タイトル名人位を獲得した1989年に癌宣告をされ闘病生活に入り、
一時は回復をしながらも2004年に食道癌で他界されています。

※細かい略歴はwikiをご参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E6%BA%80


僕自身、安藤さんにはちょっと思い出がありまして。
人生で初めて買った麻雀戦術書が安藤さんの書いた「安藤満の麻雀 亜空間でぽん!!」だったんですね。

当時高校生で麻雀にのめりこんでいた僕は、
友達と毎週末麻雀をしてはひたすら負け続けていた中で、「勝ちたい」と思って寄った本屋でこの本を見つけました。
著書の中には「ペンチャンよりカンチャンを残せ」といったシンプルな何切るも多数あり、それらから色々な基礎知識を学び、
そしてそれ以上に著書後半にあった亜空間殺法、これが実はある意味僕の麻雀プロの原点ともいえる出会いだったんです。

友達との麻雀で負けていたとある日、
「よし、普段鳴かない牌を鳴いてみよう!亜空間殺法の実践をしてみよう!」
と次の半荘にのぞんだのですが、、、、、
「改めて考えるとこれ普段鳴いてるの?鳴いてないの?」
そんな考えが堂々めぐりをする中で、何も出来ずに一日がおわりました。

そしてその日が終わった後に
「そもそも普段鳴いてる基準って何?」
「麻雀をもっと理論的に分析しなきゃ亜空間以前に勝てないんじゃ」
と考えてその日から麻雀戦術の勉強を自分なりに始めたわけです。
、、、まあつまり僕にとって「麻雀研究のきっかけ」として大きな役割を果たしてくれたんですね。反面教師(?)的な形でw


そんな安藤プロがなくなったのが2004年3月、
僕が2003年2月に麻雀プロになった約1年後でした。

当時バイトをしていた渋谷ベガの店長が安藤さんのお見舞いに行った日、
「お大事にとお伝えください」と言ったら、
「多分もう長くない」と言われて、それなりにショックを受けたのを覚えております。
数日後に店長から亡くなった事を聞いた時、「生前に一度くらいお話をしてみたかった」と残念でしたね、、、



さて既述の通り
「安藤さんと凄い親交があった人」というのは今でも現役プロに多くいます。
連盟の方々は勿論ですが、RMUの多井隆晴さん・阿部孝則さん・河野高志さん・藤中慎一郎さんらはその代表格です。

特に多井さんについてよく覚えているのは第九期日本オープン、
この年の決勝戦はたまたま安藤さんの命日に行われました。
そして優勝スピーチにて安藤さんの思い出や教わった事、そして自分の意思について語っていた多井さんを見て、
「一流の意思が一流の後継者に伝わってこうやって競技の歴史は紡がれるんだろうなあ」
と感動し、ちょっと泣きそうになったのを覚えております。


本当に生前一回位お話してみたかった(T_T)
それにつきますね・・・・・・





【オチ】
そんな感動を私に与えたくれた多井さん。

10分後にトイレにて、
「この優勝はAKB9期生をこよなく愛する俺へ神からの贈り物だ。当然賞金は全て次の総選挙に突っ込む。キリッ」
とか言っており、

「俺の感動を返してくれ」
とか思ったのはここだけの秘密。