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2020年11月7日土曜日

第19期雀王、そして協会初の三冠の達成(矢島亨について)

シャキール・オニールというNBAの歴史にその名を刻む名選手がいる。

彼は身長216cm、体重147kgという米国人バスケットプレイヤーの中でもずば抜けた巨大な体躯、かつそれに見合わぬ高い運動能力によって鳴り物入りでNBAに入団、そしてデビューしたその年に新人王を獲得し、翌年にはチームの中心として既に活躍をしていた。


そんな彼のキャリアにおいて転機の一つになったといわれているのがデビュー3年目の、1994-95シーズン。

この年、持ち前の攻撃力でオニールはレギュラーシーズンの得点王の座につき、彼の所属するオーランド・マジックは念願のNBAファイナルへと進出した。

だがこの時、ファイナルでオニールの前に立ちはだかったのがNBA史上屈指の技巧派センターとしてその名を残しているアキーム・オラジュワン。

「ドリームシェイク」と呼ばれた多彩なフットワークを初めとする彼の技術を前にオニールは完封されチームも0勝4敗で敗北を喫する。


「パワーだけでは勝てない」

この時既に現役NBAでもトップクラスのセンターとして知られていたオニールが初めて自分のプレイスタイルを見つめなおしたという。

自分を叩きのめした相手であるオラジュワンが得意とするようなスピンムーブ をはじめとしたフットワーク、高さと幅を活かしたフックシュート、

これら技術を年々向上させ彼はパワーだけでなく技術を兼ね備えるNBA史上屈指の名センターへとなったのである。




「戦慄の速射砲」

アーケードゲームMJにおける矢島亨の通り名、

初めて聞いたとき「ぴったりだな」と思った事をよく覚えている。(ちなみに自分で考えたらしいw)


元々彼はデビュー年度の新人王決勝進出、リーグ戦での順調な昇級、そして第13期日本オープンでの初タイトル、といった実績で協会のトップ選手として順調に名をあげていた。

その最大の武器は「圧倒的な攻撃力」、もうちょっと言えば最終形への構想力・積極性をベースにしたシンプルな押し引きであり、個人的には小倉孝に近いスタイルだという印象を持っていた。


ここからは更に僕の勝手なイメージの話なのだが、

そんな彼に対する印象が明らかに変わったのは2年ほど前、正確には第17期雀竜位の決勝の前の年末あたりである。

今まで基本的にはシンプルなスタイルの麻雀を目指していた様に見えた矢島が一転して細かい精度の読み等の技術をメインにした勉強・研究について口にする姿が目に付くようになった記憶がある。


勿論一般的なレベルから見れば矢島はこの前から既に十分なオールラウンダーだった。

上述の攻撃力も相まって協会のトップ選手だった。

だが「それだけでは足りない」そんな気持ちが彼自身にはあったのかもしれない。

鈴木たろうに勝つために、

金太賢に勝つために、

堀慎吾に勝つために、

仲林啓に勝つために、

渋川難波に勝つために、

多くのライバルに勝ち「協会のトップクラスではなくトップになるため」

一番の武器である攻撃力にプラスしてライバルに負けない高い精度と細かい技術を上乗せする、そんな決意があったのではないかと今となっては思う所がある。

もしも矢島がそう考えていたとしたら、オラジュワンに出会ったオニールがたどった道をちょっと彷彿とさせるものがある。



矢島はこの年の第17期雀竜位を制覇、

そして敗れはしたが第18期雀竜位では卓上の誰よりも高い精度の麻雀を見せつける。

これらを見た競技愛好家の中には彼の更なる飛躍を予想していた人間が少なからずいたのではないかと考える。


改めて第19期雀王は矢島亨、

協会史上初の雀王・雀竜・日本オープンの三冠を達成する偉業をここに成し遂げた。

鍛冶田良一も小倉孝も鈴木達也も鈴木たろうも、そしてその他多くの選手も成しえていない大偉業、改めて拍手を送りたい。

さて最後にこの記事で書いたオニールだが、彼にも引退まで克服できない弱点があった。

フリースローの技術である。

バスケットボールが彼の手に小さすぎた等の説が有名だが、彼はとにかく最後までその弱点克服ができなかった。(彼を止めるために故意の反則をし、あえてフリースローに持ち込む戦術があった位のレベル)


だが彼は引退後にこう述べている

「想像してくれよ。俺がステフ・カリーみたいにフリースローを決めたら、もっともっとヤバい選手だったはずだ。マイケル・ジョーダンやウィルト・チェンバレンを超えて、史上最高の選手になっていたと思う。でも、弱点があったおかげで謙虚なままでいられたんだ」


「2004年ソフトバンク松中選手以来の三冠王が僕です」

矢島は試合が終わった後に真顔でこう語った。

そう、

彼にはその見た目に合わない親父ギャグのセンスというおそらく一生直すことが出来ないと思われる弱点が存在している。

でもそれがあるおかげて彼は来年もその後もおそらく謙虚に更に進化した姿を見せてくれると思うのだった。


最後に選手の皆様、

改めまして素晴らしい戦いを今年もありがとうございました!

2020年11月5日木曜日

第19期雀王決定戦、最終日を前にしての雑記

いよいよ始まる最終日。
ここでちょっと唐突に第12期雀王決定戦および第18期雀王決定戦の最終日開始時(3日目終了時点)のスコアについて書いてみたい。

第12期雀王決定戦、最終日開始時スコア
鈴木たろう    +342.3
矢島亨    △23.6
木原浩一    △139.5
伊達直樹    △182.2

第18期雀王決定戦、最終日開始時スコア
堀慎吾    +234.3
矢島亨    △7.0
金太賢    △110.6
渋川難波    △119.7


この2つのスコアは今年の最終日をトップで迎える矢島亨が過去に参戦した2回の雀王決定戦、その最終日開始時の物である。

第12期、この時は既に大差をつけていた鈴木たろうが16,17回戦も快走して最終日後半はもはや完全な消化ゲームだった。
ちなみに矢島は最終戦に四暗刻を自模っているが、これはもはやただの敗戦処理のオマケだったと言える。記憶している人もわずかだろう。

そして昨年度の第18期、
これは多くのファンの記憶にまだ新しいと思うが、
この240P差を矢島は最終戦開始時には57.2p差まで詰めていた。
その大半は19回戦のトップラス、特に南3局1本場で和了した驚愕の四暗刻による点が大きい。
が、最終戦では堀慎吾の前に屈して12期以来2度目の”準雀王”に甘んじる事になっている。


そして今年、その矢島が上述の通り以下のスコアで最終日を迎える事となっている。
矢島亨    170.9
堀慎吾    66.7
金太賢     114.8
吉田基成    122.8

2位に100P差で残り5半荘、というのをどの程度のリードと考えるべきか、というのはちょっと難しい。
”ほぼ無いような物”と言うべきか。確かに協会ルールなら一発でひっくり返せる範囲なわけで、全くもって安泰ではない。
特にタイトル戦決勝という特殊状況では他3人は本当にギリギリまでこのポイントを捲る事"だけ"を考えてくるわけで、これが想像以上に大きく場に影響する。

ただ一方で優位である事も事実、
例えば最終日最初の半荘で矢島がトップを取れば、残り4回で最低でも2位に150P以上の差をつける事ができる。これでも確定ではないが、かなり優勝が現実的なスコアにはなってくるだろう。 逆に言えば2着の堀でさえ、矢島とトップラスを決めても矢島に並ぶに過ぎない、この点は大きい。

本人はどのような心境だろう。
戦略的な観点から考えれば「まだ特に意識はせず。ここで堀にトップラスを決められても振り出しに戻るだけだし、攻めの姿勢を崩さず」、これで間違いないと思う。

ただ一方で、心境的な点ではどうだろうか。
3回目にして掴みかけている協会の頂点、平静を装いつつも内心は期待と不安の嵐が吹き荒れている気がしないでもない。

2位の堀慎吾も条件的にはまだ楽な位置である。
上述の通り100P差なんて協会ルールなトップラス1回でひっくり返る。
仮に16回戦でトップラスを決められたって、まだ4回をじっくり行けば逆転の芽はある。
戦略的な観点から考えれば矢島と同じく「いつも通り」だろうし、心境的な点ではむしろ追う側の気楽さがあるかもしれない。

金と吉田だってまだわからない。
特に金について言えば彼が連覇を決めた第17期雀王決定戦、最終日開始時に下石戟とついていた差が280Pであった事を考えると、今回の約300Pも似たような物といえるだろう。
吉田ともども最終日での奇跡の逆転に並々ならぬ意気込みで挑むに違いない。


あと5回ある、
されどあと5回しかない。

そんな今年度の協会最強を決める最後の戦いがいよいよ今週末11/7(土)に行われる。
第19期雀王はだれになるか、ご視聴して頂ければ幸いです。


あっ、
最終日1半荘目の観戦記は私が担当いたします。
そちらもよろしければ是非ご覧ください。

2020年11月3日火曜日

従来の"観戦記"ってのはもはや今では不要だと思うのです

 そういえば久々に観戦記書きました。

第19期雀王決定戦6回戦観戦記


さて、

「お前これ書いておいていきなりこの表題のブログか」

と突っ込みが起きそうな中続きを書きますw


もう個人的には観戦記って無くしてもいいんじゃ?と結構思う所が多いのです。

正確に言えば「これだけ競技麻雀界の状況が目まぐるしく変化してる中で、"10年前と同様の観戦記"はもう要らないんじゃ?」

でして。



ちょっと昔の話をしましょう。

競技麻雀がネットでバンバン放送されるようになったのって、ほんとについ数年前からなんです。

10年くらい前から各団体の最高峰タイトル決勝とか本当に一部はネットで流れてましたが、

今では各団体のリーグ戦もどんどんネットで放送されてるし、

特に2年前から始まったMリーグ、開催期間は毎日新しい勝負が提供される日々になってます。 

とにかく競技麻雀ファンは手軽に対局を見ることができる素晴らしい時代、

でも一昔前は全く違う環境だったわけですね。


ではそれ以前の競技麻雀マニアがどのように競技麻雀について知っていたかと言えば、

・対局会場に足を運んでじっくりと観戦

・近代麻雀等の記事

・観戦記

だったわけです。


特に観戦記は

・現地に行く必要が無い

・各対局の細かい内容を知れる

・麻雀プロの考察を知ることが出来る

そんな媒体として重宝されておりました。



が今や状況はその当時から大きく変わっております。

上述の通り対局の内容は動画で簡単に見れるし、

そして麻雀プロの考察も解説が色々とお話してくれる、

それらがある以上そもそも観戦記の需要自体が激減してしまっているわけですね。


何より10年前、5年前と今では競技麻雀界で行われているイベントの数も桁違いになっている。

10年前ならとあるタイトル戦等の話題は1,2か月経っても目新しい話題でしたが、

今ではどんどん新しい話題に上書きされる時代、

10年前みたいに対局後一か月たって観戦記をあげたとしても、

「何を一昔前の話題を、、、」と感じる人が多いし、

それでも従来のような観戦記を作る必要性があるのか?と聞かれればこれはかなり疑問が残るところなわけです。

実際問題、団体によってはここ数年はもう観戦記を出していないケースが結構見られたりしてるのもこの状況を見ての事かと思われます。


それでも現代において観戦記を書くとしたら、求められるのは

・試合が終わって数日以内(=話題の鮮度が落ちる前)に出す

・対局動画がある前提でダイジェストの位置づけになりえる物(かつ単体としても楽しめる読み物)

が最低限の条件かと思うわけです。


Mリーグが出来た時、

観戦記が翌日にはWeb記事になるように出ている点を見た時は「流石だなあ、、、」と思った事をよく覚えとります。

翌日には次の対局が放送されるような環境下、数日後に観戦記記事が上がっても「何をいまさら」になるわけだし。

内容も素晴らい物が多い。書き手の主観がバリバリ入りつつ客観的意見も多くて、”観戦記を出す”って事に対して主催側が如何に気を使ったかがよくわかるものになってます。



さて協会ではそんな中でも対局一か月後くらいに1万文字くらいかけて事細かに内容を伝える観戦記を引き続き作ってたわけです。

個的には正直「時代に合わないしいっそ辞めちゃえばいいのに、、、」と思っていたのですが、

これが去年の雀竜位から方針を転換。

1半荘ごとに短い観戦記を勝負が終わった翌日あたりにすぐ出す形に変わったわけです。

ここら辺は協会上層部も僕以上に考えるところがあって今回の経緯に至ったんだろうなあ、とか思ったわけで、それには多くの執筆者の協力が必要なため、微力ながら去年から協力しいているわけでありました。


ただ一方で「これも時代の流れか」とちょっと寂しさを覚えたわけでありました。

今でも昔のような勝負の内容を事細かに書いた観戦記を愛して止まないファンがいるとしたら、そういう人たちには悲しい時代になるのかもしれません。

そして昔のように決勝卓を多くのギャラリーが囲んで観戦した時代、これも2度と来ないのかもしれない。


家でお菓子食べながら4人の手牌を簡単に俯瞰出来て説明してくれる人もいる、

便利になったと思う反面で、

あの頃感じた決勝会場の対局者とギャラリーが作る重い空気を二度と感じる事は出来ないかと思うと、

それはそれでちょっと切ない。

以上、個人的な考えを書きなぐった雑記でありました。