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2018年10月18日木曜日

下手なのに強い人、上手なのに弱い人 その2

前回の続き
http://susumutakenaka.blogspot.com/2018/10/blog-post_16.html

「で、武中さん、”上手なのに弱い”と思われがちなタイプの条件、って何があるんでしょうか?」
『まあ大きく分けて4つの要素があると僕には見えてます。
そして前も言いました通り、これを満たしていない人ほど”下手なのに強い”って見られるタイプですね。』
「じゃあそれぞれ教えてください。」

『その① 色々な事を考えすぎている人
とにかく色々な細かい事に気付いていて、状況に応じて打ち方コロコロ変えるタイプですね。
この手の人は”渋いダマテン”とかよくやる事が多いです。
まあその大体は”ヌルいダマテン”になるんですが^^;』

「それって駄目なんですか?色々考えて細かい事に気づく人の方が上手に思えますけど。」
『それ自体は悪くないんですけど、この手のタイプは”拾った情報を捨てる or 優先順位付けする”って事がちゃんとできてない人が多いんですよ。
結果として状況にそぐわない事やったり、局ごとでやってる事が全然かみあってなかったり。
結果として”何も考えずリーチしまくる方がマシ”って形になっちゃうケースが結構多いですね。』
「はあ。なるほど」


『その② リスクを恐れすぎている人
とにかく放銃回避を第一に考えるガチガチタイプですね。』

「・・・それもダメと?放銃回避する人=上手いと思いますけど」
『その考えがそもそも間違いで、世の中に放銃しない人なんていませんよ。
特に自分に好手が入ってる時に放銃するのなんてむしろ必然です。
にもかかわらず不自然な手順でアタリ牌とめてその事に喜んでしまう、
そしてその裏で不自然なアガリ逃し連発して負ける結果、”上手いのに弱い”ってタイプに見られるわけですね。』
「・・・」
『あれ、キバヤシさん、どうしたんですか?心当たりでも?^^;』
「・・・そんな事は。じゃあ3つ目を。」


『その③ トータル収支という考え方が出来てない人。
具体的に言えば序盤にマンガンとかのリードとった瞬間から異常に着順を意識しすぎたゆがんだ打ちまわしするタイプですね。』

「・・・いや、なんでそれもダメなんでしょう?」
『まず序盤からリードを意識しまくってそのままの着順をキープできるなら苦労はしないです。
それ以上にこの手のタイプはトータルでみると着順でも大して勝てない一方で素点と祝儀Pでボロ負けします。
つまり”トータル”って考え方が出来てないので、”賢明に打っているのに気づいたら負けてる”って見えるケースが多いですね。』

「あの、
ここまでの武中さんの意見を聞くと”もう何も考えずに攻めまくる人=弱くて強いと思われる人”のほうが実は強い、と聞こえるんですが、そこはどうなんでしょう?」
『フリー雀荘についてはそうですね。
”上手なのに弱いと言われるタイプ” →  ”本当に強い”ってケースより
”下手なのに強いと言われるタイプ” → ”本当に強い”ってケース、
後者の方が多いと思います。
何も考えずにガンガン前に出てるおっちゃんとかおばちゃん、実はそこまで非効率な事してないケースが結構ありますよ。』

「えっ、本当に?信じがたい・・・」
『理由はルールです。
フリーのルールは全体的に見ると攻めた方が断然有利だからです。
細かい事考えすぎる位なら両面貼ったら全部リーチした方がマシな位です。
まあ勿論、本当に強い人って言うのは今回出たような要素をちゃんとバランスもって理論的に考えて、
必要な情報を拾って捨てて、
リスクを軽視しすぎず重視しすぎず、
トータルを考える、
これをやってます。
でもそこまでやってる人なんてフリーにいるお客さんの1%もいないでしょうね。
”やってるつもり”って人はいますが。』


「あの、そういえば要素は4つでしたよね?最後の一つが出てないですが。」
『ああ、、、聞きます?』
「はい。」

『その④ イケメン』
「・・・・」
『・・・・』
「・・・・ガチなんですか?」
『だってそうなんですもん。
まあこれは”上手くて弱く見えるタイプ”というより”上手く見られるタイプ”ですけどね。
イケメンは間違いなくブサメンより麻雀上手にみられますよ。』

「麻雀関係ないじゃないですか・・・・」
『それくらいに世間の”打ち手の実力評価”ってのはテキトーなんですよw
女性って理由だけでやたら弱く見られる、とかもあるし、
偏見やイメージで90%くらい基本決まりますからね。
まあ他人の実力を評価するってのは実はものすごい高いスキルが必要で、
正確に誰か一人を評価するのは実は凄い時間と労力がかかります。
娯楽の範囲で出来るレベルの話じゃないので当然ではありますが^^;
そういう意味では実力を評価したければやはりリアルよりネットの方が確実ですね。
もう嘘偽りが出来ない結果がベースで評価されてるわけですから。そして何より顔が見えないし。

というわけで麻雀の世界でも”ただしイケメンに限る”はあるのでしたw

おしまい

2017年8月3日木曜日

和了牌はスルーできる。でも和了牌が無い場合、スルーできるか?

当たり前の話だが、
麻雀では和了牌をツモった時、もしくは他家から出たときに、
「ロン」「ツモ」を拒否する=見送る権利がある。

「当たり前だろ」と言われりゃそれまでだが、
例えば以下のようなピンフ・純チャン・三色
高目であがる為に安目をスルーする事はもちろんOKだ。

二三①②③⑨⑨123789

そして巷のフリーだと着順アップを目指すうえで、
「他家がトビになるのを防ぐ為」という事で和了を見逃す場合も結構ある。

まあフリーには大体祝儀Pがある関係上、
オーラスとかのごく限られた状況除いては、
トビを防ぐ為のダマやスルーはしない方が結構有利なケースもあり、
巷には「やりすぎ」の人が多い、と個人的には思うのだが。


さてそんな中、
先日フリーを打っていてこんな状況に遭遇した。
南2局で点棒は以下の通り

東家 3000
南家 52500
西家(ワシ) 40500
北家 4000

トップ争いについてほぼ南家とのマッチレース。
東家と北家は必死の3着争いの構図の中、
北家が10巡目にリーチ

こっちの手牌が良くないのもありベタおりしていた中、
13巡目に現物が無くなり、アンコの中を落とし始めてふとある事に気付いた。

ここまで自分の捨て牌がヤオチュウ牌だけ、
つまり流し満貫状態だったのである。

中を全て切って、その後に2個ヤオチュウ牌を切れば成立、
ヤオチュウ牌は全種類とも現物orスジであり、問題なく切れる状況。
というか河が強い為、中張牌の現物がいま手元に一個もなかった。
そして点棒状況を見てふと思った。
「これ、もしも流し満貫成立した時に”和了しない”って可能なんだろうか?(・・;)」

今回の場合、もはや2着オチはほぼ無い状況の中で、
流し満貫が成立すると東家がトビになる。
しかし中張牌の現物が無い以上、今後持ってきたヤオチュウ牌は強制的に切らざるをえない。
となると「あがりたくないけど成立してしまう」というケースが考えられたわけだ。

「店の決め次第だろう」と思いつつも、
和了拒否宣言が可能なのか、とかちょっと興味を持った。

先ほど書いたとおり、麻雀は普通の手だったらあがるもあがらないも本人の自由だ。
これを拒否する権限が「流し満貫だけは無い」となると、ちょっとレアケ、
というか麻雀のルール後付けが生んだ不整合の一つだなあ、とか思ったわけである。



まあ結局そのあとヤオチュウ牌引かず、だったけどね。

ちなみに「流し満貫は自分が鳴いてもOKか?」という問いもあるが、
某店舗では「流し満貫は面前手役だからダメ」といっていた。
まあ実際に認めてないケースを他店舗でも見た事はある。

フリーで一回、捨て牌で国士和了しての流し満貫を見た事もある。
ありそうであんまりないこのケース、あがった本人も「役満じゃダメ?」とちょっと複雑そうだった。

流し満貫の和了拒否、
もしもOKのお店があったら是非当方にご連絡くださいw

2017年6月16日金曜日

麻雀のルールについて思う事 その4

以前にこんな記事を書いた。
http://susumutakenaka.blogspot.jp/2017/04/3.html


競技選手を続けると、色々なルールの大会に参加する機会がある。
協会ルールは巷のフリーのようにトップにオカがあるが、
他団体にはそれが無いケースが多い。
そして一発裏ドラが無い大会もある。

ここにも書いたとおり
選手によって多少の好き嫌いはある。
僕も王位戦ルールはノーテン罰符が高すぎて結構嫌いな部類になるw

ただし得手不得手については話が別だ。
「与えられたルールで得な事を実行する」というのは競技選手にとって当たり前の事であり、その対応力こそ真の技量が問われる部分の一つである。
よって多少の差はあれど、声高々と「このルールが得意、このルールは苦手」と言うのは、まだ競技経験が浅い事を露呈する発言ともいえたりする。

そして正直な意見を言えば、ある程度競技になれて来ると「多少の差はあれど、そこまで劇的に打ち方を変えるルール要素というのは実は少ない」と思っていたりだ。

例えば巷でよく競技の代名詞とされる「一発裏無し」
たしかにこれがあるのとないのでは打ち方に多少の差はでるが、やはり「多少」の域は抜けない。
早い話がRMUルール、
ウマは5-15で統一されているが、場合によって一発・裏の有無が設定されている。
しかしこの差によって少なくとも僕は「劇的」と呼べるほど打ち方に差は出ない。
ノーテン罰符がある以上は結局ある程度受け入れ枚数は重視するし、一発・裏があろうとある程度手役は追うし。
勿論それらにより選択を変える場面はあるが、
そんな事は巷のフリー雀荘でも店のルールに応じてやっているレベルと大差ない。

そもそも協会ルールとフリー雀荘、この二つでは打ち方にかなりの差が出る。
理由は赤牌、そして祝儀Pの関係だ。

ところが
「一発裏があるのと無いのとでは打ち方が全然違う」という意見はよく聞くのに、
「協会ルールとフリーでは打ち方が全然違う」という意見は協会員からすらあまり聞かない。

これはちょっと違和感がある。
僕には後者も十分な判断変更材料だし、
「たかだか一発裏だけでそこまで判断変らないよ」が本音だ。
まあ一般の方が一発・裏無し大会に行って打ち方の違いを感じる理由は、オカ・ウマといった点も含めた全体のルール差についてであり、それをあまり認識できてないが故の発言とも思うが^^;

さて、そんな「ルールの差」にドライな感覚を持つ僕でも、
一つ大きな差が生まれると思っているのは「ノーテン罰符の有無」である。

これは本当に競技における数多のルール要素の中でも一番大きな影響が出る物ではなかろうか。
なんせ
・和了しなければ絶対に点が増えない
・放銃orツモ以外では絶対に点が減らない
という事態を作るからだ。

このルールを何回かやると、普段の麻雀におけるノーテン罰符が作り出している状況の大きさ、それが無くなった瞬間の場の変化が良く解る。
和了以外に点が増えないし減らない 
⇒ 中途半端な選択は誰もしない 
⇒ 早期の絞りオリで和了が難しくなる
というルーチンも発生し、通常のフリーとかとは比較できない非常に硬いゲーム展開になりやすいのだ。
※一発裏無しのみだと案外硬い展開は生まれにくい。



明日、最高位戦クラシックの4組に出場するが、
これが実は初出場である^^;
まあ今までシードチャンス等もあったのだが、なんせ平日開催ゆえに出場したくても出来なかったのだ。

そしてノーテン罰符無しルールで打つのも、旧王座戦ルール以来なので10年ぶりくらいである^^;
練習したかったが時間がなくて出来なかったのはちょっと痛いな・・・・・
まあでも結局ルールにあわせて考えるっていう事自体はなれているので、そこまで不安ではないけど^^;
久しぶりだから結構楽しみだ。

というか王座戦は本当に好きなタイトルだったので、無くなったのは残念だし、また復活してほしいなあ・・・
以前に日記で書いたように、MUの忍田さんとお会いしたのも王座戦が初だったが、
現最高位戦所属の萱場さんとも王座戦で初めてお会いした。ベスト32にて最後の最後で萱場さんに負けた事は今でも覚えている。(ちなみにこの年萱場さんはそのまま優勝)

やっぱり他団体の大会って、色々な人に出会えて面白い。
何年か後に「あの時あの大会で戦いましたねえ」って言いながら酒飲めるのは、競技選手の醍醐味の一つであったりするし。

さて初クラッシック、ちょっと不安もあるが楽しんできますかね。
ついでに日曜はリーグ戦、こちらもやってやりましょう!
両日とも俺にばっかりいい手入って、
周りの人達にばらばらの手がいっぱり入りますように!w

2017年5月17日水曜日

リーチ後のカンについてのお話 その2

さて前回書いたリーチ後のカンに対する規定の続き

http://susumutakenaka.blogspot.jp/2017/05/blog-post_15.html

カン規定によるチョンボ、
協会の対局にて良く覚えているのが以下の形

②②77788999東東東
10年以上前の対局でこの形をリーチして、
7をカンしてリンシャンで8をツモり意気揚々と「16000オール!」と発声し、
直後に僕と佐久間さんに「いやそれチョンボですから」と突っ込まれた人がいた。

この形の場合、
789の面子×2と79のカンチャンによる構成を否定する事になるので、
リーチしたら7と9はカンできないのである。

そしてリーチ後のカンと言ったら忘れられない伝説を持っているのが武中兄である。

11123④⑤⑥⑥⑦⑧七九
とある日のフリーにて、
この形でリーチをした兄。
対面の親から追っかけリーチを受け持ってきた直後の1をアンカンしたのだった

23④⑤⑥⑥⑦⑧七九 1111(アンカン)
はう!
テンパって無い!!

さすがにテンパイ⇒ノーテンになるアンカンは後にも先にもこれ以外に見たことは無い。
ただしこの時一番不運だったのは、
この酷いカンによりロン牌をとめられて、12000のチップ2枚を貰えなかったトイメンの親であるw
※なお武中兄はかってチョンボ王と呼ばれたくらいにチョンボが多い

さてちょっと最後にもう一つ。
これは麻雀のルールのさらに複雑な話にもなります。
カンについて以前ツイッターでちょっとだけ話題になった形がある。

①②③④⑤⑥7779 8888(アンカン)
ここからリーチをしたとして、7をカンできるか?

普通に形だけみればカンなんてできるわけがないのだが、実はそうではない。
すでに8を自分でアンカンしている以上、この手の待ちから8は除外されるべきと見れるからだ。

麻雀には「自分の手牌構成上すべて使い切っている牌は待ちと見なさない」というルールがある。

たとえば
九九九123456中 中中中(ポン)
中が既に自分の手牌から見て残ってないから待ち無し=ノーテン

2388発発発 444(ポン) 234(チー)

4が既に自分の手牌から見て残ってない=1待ち(4は待ちではない)
となる。


先ほどの形に戻ろう。
①②③④⑤⑥7779 8888(アンカン)
この待ちは「9」である。
既に8をカンしている以上、8は除外されているのだ。

さてここでリーチをしたとして、
ソーズの待ちは8が無いと見なされている以上、既に面子構成が7アンコで固定されていると見なせるという見方もある。
それはつまり7をカン出来る!とも取れるわけである。

よってこれについては僕は「カン可能」と考えたが、「カン不可能」という意見もやはり多かった。
つまり「ただの8がカラの89待ちと見なすべき」という考えである。
そうなると僕の中ではなんとも曖昧な部分が多くなる。特に「それなら中ポンの中タンキとかもテンパイと見なすべき、なのに実際はテンパイ料をもらえない」という点に矛盾があると感じた。
でも今度は「テンパイ料とはテンパイ形に払うのではなく、あがれる権利に払われている」という考え方が出たりで、
結局水掛け論に決着は付かなかった^^;

まあどっちが正解かと言いたいわけではなく、
やはり麻雀のルールとは追加に追加を重ねたが故の不整合を抱えたゴミ屋敷である、
という側面を改めてみた
、というだけである。

ちなみに7カンについてMUの小林剛さんはカン肯定派だった。
それを剛さんが明言した瞬間にいきなり賛同者が増えたことにちょっとイラっとしたのも覚えているw

結論:やはりこの世は肩書きは大事!w

2017年5月15日月曜日

リーチ後のカンについてのお話 その1

麻雀の数ある規定の中でもこれほどややこしいものは無い。
というか競技麻雀のカンの規定を明確に理解していない麻雀プロも結構要るだろう。

改めて明記するが、
競技麻雀のリーチ後のカン規定は「面子構成が変る可能性があるカンは禁止」である。
※そもそも「リーチ後のカン全面禁止」のルールもあるが、今回は触れない事とする。というかこっちの方が単純だからいい気もするが・・・


「待ちが変るカンは禁止」ではない、これが大きなポイントだ。

さて違いが何かと言われ、例をあげよう。
例えば以下の形をリーチしたとする
六六六七七七八八八④⑤⑧⑧

競技麻雀ではこの形、
六も七も八もカンできない。

理由は六六六七七七八八八の部分は
六アンコ+七アンコ+八アンコとも取れるが、
一方で六七八の面子×3とも取れるからだ。
そこでカンをすると後者の構成を否定してしまうので、どれもカンできないのである。

麻雀には幾つかのリーチ後カン禁止形があるが、
その理由は全てこれが起因している。

たとえば以下の形
二二二二三四七八九④⑤⑧⑧

ここに五を引いてのカン。いわゆる送りカン。
これは二三四の面子が変ってしまうので禁止である。

二二二四五五五④⑤⑥⑥⑦⑧

ここに二を引いてのカン。
これは三であがったときの二三四形の可能性を否定する。
よってカン禁止である。

さて競技はではこんな形で全面的な禁止がされているからまだいい。
ところがこれがフリー雀荘に行くと、結構おかしな状態になっている店があるのだ

フリーの店では
「待ちが変るカンは禁止」と明記している所がたまにある。
そこから考えると送りカンは可能なのが自然なのだ。だって待ちは変っていない。面子構成が変っただけだ。
にも関わらずそんな店でも大体は「送りカンは禁止」とピンポイント明記しているケースが多い。まあ「いまツモった牌以外はカン禁止」と解釈できなくもないが^^;

ただここまでならまだ良いのだが、
その店で二二二四五五五の二はカンOKなのか?
六六六七七七八八八は全てカンOKなのか?
個人的には疑問がつきない状態になっているのだ。

これは別に店が悪いわけではなく、
以前にも書いた麻雀の曖昧すぎるルールが問題なのだ。
店を経営する人全てがこの曖昧さを理解する必要性もあるわけが無い。

ただ本当に幾つかの店でカン規定を見るたびに、「解りにくいからもう全部OKでよくね?」と思う次第なのである。

ちなみに業界最大手のマーチャオさんは「面子構成が変るカンは禁止」と明記してます!
皆、安心して遊べるよ!キリッ

唐突に媚を売ってみたw
さて、ちょっとだけカンのお話が続く。

2017年4月20日木曜日

麻雀のルールについて思う事 その3

前回の記事の続きであります
http://susumutakenaka.blogspot.jp/2017/04/2.html


競技麻雀界も全体を見るとそれなりのルール変更がされている。
まあもっとも前回書いたような「単純化」という方向とは異なるが^^;

1997年に最高位戦日本プロ麻雀協会は旧来の「ノーテン罰符なし、一発裏ドラなし」から、
現在の最高位戦ルールへの変更を実施した。

当時のプロ団体といえば連盟・最高位戦、そしてその年に創設されたMUだったはず。
愛好クラブ(日本プロ麻雀棋士会の前身)もこの年だったらしいが。
いずれの団体も一発裏ドラを採用してなかった中でのこの転換、
当時の時代背景を私は知らないが、これは結構大胆な事だったのだろうと思う。

そして2002年に日本プロ麻雀協会が設立され、
競技麻雀団体としてはじめて25000点の30000点返し、いわゆる「オカ」が導入された。
RMUのルールについては5-15の一発裏ありが基本だが、
オープンリーグや新決勝方式と従来の団体よりも新ルール適用にかなり意欲的である。

ちなみに日本プロ麻雀棋士会では、
一発裏ドラ無し、かつノーテン罰符が差2000という特殊システムを取っていたりする。
1人テンパイなら500オール受払い、2人テンパイなら1000点ずつ受払い、3人テンパイなら500オール受払い、となる。
常々「一発裏ドラ無しでノーテン罰符場3000は高すぎる」と思っていた僕としては、これは斬新であり「良い案だ」と正直に思った。

近年で言えば、
「タイトル戦の最終半荘はトータルトップ目がラス親」というルールがほぼ定着したり、
上記のようにRMUが新決勝方式を導入したりしている。

ちなみに今年から協会では「リーグ戦の抜け番はポイント上位者から好きに選べる」という制度が追加されたりした。

が、麻雀そのもののルールへのテコ入れとなると、簡単でない。
やはり「団体ルールの大きな変更」というのは冒頭の最高位戦や棋士会ぐらいのものだろう。
あ、あと101はルール変更を細部で実施している記憶がある。
特殊性が非常に高い団体が、この柔軟さはなかなかすばらしいとも思った。

さてこのシリーズの日記1で書いたように、
僕は麻雀のルールというのは一長一短で、好き嫌いはあれど、「どのシステムだと実力が出やすいか?」という話は水掛け論になりやすい、と思っている。



僕は最高位戦ルールが一番好きだし(協会員だけどw)、
協会ルールはトップが偉すぎるし、
連盟ルールはノーテン罰符が高すぎると思ってたりする。
だがまあ、結局は「与えられたルールで一番得だと思う事をするだけ」なので、
好き嫌いはあれど不得手というのは”あんまり”ない。
競技選手なんて長くやってれば、皆そんなものだろう。

ルールを自分で変えられないのだから、自分で打ち方を変えるしかない。
あまりにも気に食わないルールの大会は出なければいいのだw

ただその選手観点からちょっとだけ違和感がある事を書いとこう。

「魅せる」という単語、この単語自体は以前に別の記事でも書いたように大事だとは思う。
ただ団体のベテランの方が解説で若手の打ち方をこの観点から批判する場面を見ると、
だったらルール変えるのはどうでしょう?」とちょっと思ったりもするのだ。

早い話、
連盟ルールがノーテン罰符無しになったら速攻の回数も減るし、ましてや愚形のリーチの数は激減するだろう。それこそ旧来の「魅せる」のイメージに近い形の麻雀になるのではないだろうか?(あくまで僕の中でのイメージだが)
今後のファン拡大を考えて、各自の打ち方を自分が考える理想的な方向にもって行くのであれば、
熱弁(特に批判)をふるうよりもこちらをもって対応する方が良いとちょっとだけ思うのである。

今与えられているルールの中で勝利に近い最善手を考える、今の若手はその能力に長けている。
ならば団体内でのルール改正の声をあげ、上層部の方が考える理想と若手の能力をあわせていく、こちらの方が効率的なんじゃないかなあと。

まあそういった運動はすでにあって僕の耳にその話が届いていないだけかもしれない。
例え団体のトップが声をあげたとしてもルールの変更というのは簡単な事ではない、というのは容易に想像できるし。

なんて事を思う次第でありました。

さてなんかルールについて色々と書いたが、一旦はここで締めとしようかと。
そのうちまた追加事項があれば書きます。

2017年4月19日水曜日

麻雀のルールについて思う事 その2

前回の続きとなります。
http://susumutakenaka.blogspot.jp/2017/04/1.html


さて麻雀のルールについて改めて考えてみる。
慣れている人はあまりもう違和感なく受け止めているが、
麻雀の役そして点数計算というのは、無意味なレベルでややこしい。
奥の部分とかではなく入り口の部分でややこしい物が多いのだ。

最たる例はピンフだろう。

・123, 234といったシュンツと雀頭のみで構成 ⇒ 111, 555, といったアンコがあるとダメ。

まあこれはいい。
だが、

・待ちは両面じゃなきゃダメ
・鳴くとダメ(タンヤオはOKだがピンフはNG)
・字牌は一部(役牌)だけ雀頭の場合はNG

もうなんでこんな細かいルールが付いているのか意味が解らないレベルである。
しかもこれが出現頻度上位5指に入る基本役だというのだから、
この時点で覚えるのが面倒になる人がいても無理はない。

まあ役以外にも、
フリテン規定、カン規定あたりは特にややこしい点が多い。
この難しさに意味があるのか?といわれると疑問が多すぎる。
※カン規定は結構細かい部分で解釈に困るケースもある。

麻雀がとにかく複雑な理由のひとつは「多くの追加ルール」にある。

現在の日本麻雀には戦後とかに追加された部分が多い。(リーチやドラ 等)

よーするに、
とある追加ルールAをつける
さらに追加ルールBをつける、

AとBの間に矛盾が出来てしまいし、新しいルールCをつける
日本麻雀とはこういったルールの積み重ねで無理やり形成されたゴミ屋敷的な部分があるのだ。
しかもやっかいなのはそのゴミ屋敷を神聖な物と思い込んで手を加えるのを極端に嫌う人が結構いる事である。
しまいにはその複雑さゆえにちょっとやそっとのルール差異は平然と受け入れられる部分がある為、麻雀のルールは店舗や地域によって異なるという事象も発生しているわけだ。
まさにゴミ屋敷がさらに巨大化してもはや手がつけられてない状況と言えるだろう。



個人的にはこれらはもっとクリーン化したいが、だからと言ってこれはそう簡単に解消される問題でもない。

もう理由なんて全て書いたらキリがないくらいに多いので割愛するが、
愛好家人口だけなら他ゲームより遥かに多い=多くの人に慣れ親しまれすぎたこのゲームにおいて、プロ団体ですらまだ統一されきっていない現状では改革を唱えるのも簡単ではない、
もっと着手すべき部分を優先している、とご理解いただければ。

ちなみに国際公式ルール(中国麻雀)だが、
役の数こそ日本麻雀の3倍あるが、実はそれ以外の点ではすべてにおいて日本麻雀より遥かにシンプルである。
というか役についても上記のピンフのようなひねった部分もない。

全く麻雀を知らない人に、日本麻雀と中国麻雀のどっちが教えやすいか?
といわれたら、僕は後者を選ぶ。

さてもうちょっとだけ続きます、
「競技団体とルールについて思う事」を書こうかと。

2017年4月12日水曜日

麻雀のルールについて思う事 その1

「麻雀のルールをどのようにしたらもっと実力どおりの結果になるか?将棋や囲碁に近づくか?」
という声をたまに耳にするが、これは正直にナンセンスな議論と思っている。

麻雀は不完全情報ゲームであり、
この点が将棋や囲碁のように「両者に全ての情報が見えているゲーム」と異なる。
これから新しく開示される不完全情報(ヤマにある一枚)が状況を劇的に変える可能性があるわけだ。

この性質がある以上、どのように改定したって結局は運的要素は排除できないし、
どのような変更をしたって囲碁や将棋のようになるわけが無い。

たとえば例として、
巷で耳にする「一発裏ドラをなくす」という点について考えよう。
確かにこれは一発・裏という運要素を減らす事にはなっている
ただし逆に言えば、「表ドラ」「配牌の良し悪し」というその他要素にかかる運の比重を重くしているに過ぎないともいえるのだ

昔とある競技選手(一発裏なしが公式ルールの団体に所属)が
「一発裏ドラなしの方がより運ゲーになる。選択は少なくなるし、どうしようもできない半荘が多くなる。」と言ってたことがある。

これは僕も一部だが賛成であり、
一発裏やノーテン罰符といった付属要素が少ないルールになればなるほど、打ち手にもとめられる選択はどんどん少なくなるし、「無理ゲー」の回数が増える側面はあるのだ。

10年ほど前にとあるタイトル戦(一発裏ドラなし、ノーテン罰符なし)の決勝にて、
そこまで数回の半荘でトップを重ねてダントツトップだったA選手が、
最終戦オーラス、たった一回の16000オール(四暗刻)で大逆転をくらった例もある。

協会ルールなら一回の役満はせいぜいトップ1回の価値だし、半荘数回をひっくり返す逆転要素とはならない。
つまり「一発裏ドラなし」=「運要素排除ではない」その一例と言えるだろう。


まあ結局のところ先に結論を言えば、
「本当に実力だけのゲームで勝負したいなら囲碁か将棋をやるべき」と言ってしまえるだろう。

実も蓋も無い言い方だが、
麻雀というのはその「気軽さ」があるからこそ非常に多くの愛好家を持っているのである。


麻雀を囲碁や将棋と同じ位置へ、
こう考えて目標とする麻雀プロはやっぱりいる、というかそれが普通かもしれない。
けれど僕の考えはちょっと違う。

僕としては、
麻雀とはラーメンやカレーのような大衆食で、
囲碁や将棋というのは高級フランス料理や日本料理に近いと思っている。

両者は求められる質にも価格にも当然差があるし、
専門家と呼ばれる人に求められる物も違えば、扱われ方も違う。

でも両方とも社会に必要なもので、
両方とも専門家と呼ばれる人は知識と技術が必要である。(客からの扱いは違えど)

気軽さがなくなったラーメンなんてそれこそ存在意義に疑問が出るし、
無理してラーメン屋が日本料理の板前に対抗するのもちょっと違うと思うのだ。

まあちょっと話がそれましたが、引き続きルールについてのお話が続きます。