前回の記事
http://susumutakenaka.blogspot.jp/2016/11/1_23.html
さて前回の記事の最後に書いた「ほぼ目無し時の打ち方」について。
結論は前回の通り「自分自身に言い訳(?)して普通に打つ」でして、その背景を少々書こうかと。
まず物理的なロジックについて少々言及を
リーグ戦の最終戦等で、
もうトップを取ってもほぼ降級というような状況だとしましょう。
でもそこでしっかりトップをとる行為は自分の残留確率を0.00000001%は上げる行為だという事実があります。
つまり脇のライバル目がこぞって箱下10万点とかに行けば、トップ取ったおかげで残留できるかもしれません。これは2着確保、3着確保、アガラスについても同様。
「そんな夢みたいな事考えて同卓者に迷惑かけるな」って人がいるかもですが、
前回記事の通り「自分が取れるトップや2着を放棄して卓外の人が損する可能性」というのもあります。
一緒に戦っている回りの人達のトータルで見れば、
自分がトップを取って喜ぶ人もいれば悲しむ人もいる。
自分がラスを引いて喜ぶ人もいれば悲しむ人もいる。
悲哀の総量は同じなんですね。
だったら自分が0.00000001%でも一番得する行為を見つけ出して実行する。
これが一番良い、と個人的には思ってます。
そしてそれ以上に精神論の話を。
これについては将棋の「米長哲学」を紹介したいかと。
米長哲学とは昭和の大棋士の一人である故・米長邦雄(永世棋聖)の持論=勝負に対する哲学です。
米長氏は幾つかの勝負論を語っていますがその中で特に、
「自分には消化試合であっても、相手にとっては一生を左右するほどの大勝負には全力投球すること。それができない者は、この世界では見放される」
と、説いています。
①相手や勝負への尊敬は自分が全力を出すことでしか保てない、という礼儀
②全てを100%の力でやり遂げる事よりも、95%を全力でやって5%程度の事で手を抜く事、こちらの方が遥かに難しいという全体への悪影響
これらによる「自分以外への情を勝負に持ち込む危険性」を説いているのです。
米長氏の考え方は麻雀プロとしても非常に感銘を受ける点が多いので、
興味のある方は是非とも色々とググってみて下さい^^
僕もこの言葉を聴いて感銘を受けた点は多くて、
どんなに自分が目無しであり、どんなに仲が良い人が相手でも、やはり卓上では手抜きはしない、って言うのは持論の一つです。
でもまあ、
仲が良い人とそういう局面で同卓するとなると、
「相手が上手く打って自分をすっきり負かしてくれるのが理想」って思いながらやりますけどね
人間だもん^^;
あっ、ちなみに
「俺は同卓者に有利なように打つ。いつか自分もお返ししてもらえるかもだし。それが自分の"次"に、つまりトータル勝ちに近づく行為だと思ってるから。」
って意見は何回か聞いた事があります。
それはある意味では正論の一つで、そういわれると何とも反論できない部分があるのも事実^^;
どうなんですかね。
正解は僕にもよくわからないです。どちらを選ぶかは貴方次第^^;