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2018年7月9日月曜日

手出しツモ切りってぶっちゃけ見る必要あるか? その2

さて前回の続き。
「②競技プロの中でも手出しツモ切りをしっかりとは見てない、そしてほとんど記憶してない人は結構いると思う」について。
ただし厳密な数字なんて出せるはずもないので、
今回は「無視する人が多い背景」とか僕の見解について触れてこうかと。
http://susumutakenaka.blogspot.com/2018/07/blog-post_6.html

まずこの無視する人が多い背景、
単純に「全体的な力が不足している人」これが大半であるw
まあよーするに「覚えられない」「見る余裕が無い」だ。
が、「あえて無視している」という人もいるのだ。
というか10年前の「科学する麻雀」全盛期ではそれをする人がもっと多かった。

そもそもこの当時、多くの打ち手がとり付かれたのが「古い理論の否定」だった。
・迷彩打ちは無意味
・一点読みは不可能
・愚形リーチもどんどん打つべき
そんな多くの「否定」の一つに当然「読みの否定」もあり、
昔からささやかれてきた「裏スジ」「間4ケン」、これらを「科学する麻雀」は統計を用いて「無意味」と切り捨て、
「読みという技術は価値が低い」→「手出しツモ切りは見る意味が無い」、と提唱し、
競技プロの中にもそれを実行した物が多く出たわけである。
僕自身も高校生の時から、
「宣言牌のマタギ筋とかはまだしも、裏スジってのがそこまで危険な理由が良く解らない」と思っていたし。

旧セオリーには明らかに理論として成立していない部分があったのは事実だろう。
ただこの完全無視が、「今となっては間違ってた。極論だった。」と思う一方で、
この極論に正しい部分があった、というか正しい部分が多かった、とも思う。

そして僕は後輩等に「読みの大事さ」ってあまり説く事がない。
というのも巷には「読みという技術を神格化している人」というのが今でもゴロゴロいるからである。
既述の通り、「読み」というのは戦術において最後の上乗せとなる部分で、
これよりも効果的で実践的で成績に影響を強く及ぼす部分は山ほどあるし、
下手をすると足を引っ張る局面もある。

にもかかわらず、
麻雀漫画の影響なのか、
昔の有名プロの影響なのか、
やたらと読みを必死にする人がいるのである。
「強い人=相手の手を読める人」
「強い人=相手のロン牌を一点止め出来る人」
という考えは今でも根強く残っている。
だから今でもフリー雀荘等では流局時に「ロン牌止めたよアピール」をする人が多々いるのであるw

ただこういった人達はそもそも全体のスキル不足で相手の手出しツモ切りなんてロクに見てない。
だからあまり問題でもないただの「自己アピールしたいタイプ」であり、
問題は「読みを大事にし過ぎる故に全体のバランスを軽視する」という最悪のタイプである



昔、
後輩に島村君(仮)という子がいた。
彼はとにかく「読み」に熱心だった。

実際に一緒にセットを打っていても、
「ピンズの形は・・・・ですよね?」
「8打目の9s切りはスライドで、ソーズのメンツは678ですよね?」
とか、こっちの手牌推測のアプローチに御熱心だったし、
彼が麻雀が好きなのは伝わってきたし、
そんなにスペック低い打ち手ではなかったのかもとも思う。
実際にその観察力と推察力=読み能力は、僕なんかより上だっただろう。

ただ競技をするうえで彼がセンス不足なのは話をしていても明確だった。
読みに対する高すぎる意識、
打点ばかりを追って他を軽視する手牌進行プラン、
本人には言わねど多くの打ち手が「実力不足」「バランスが悪すぎる」と明確に感じていた。
にもかかわらず当人は自身の美学や、上述の一部だけの突出したスキルを基に、
「最近は量産型の小倉孝みたいな打ち手が多すぎる」
「僕の打ち方は一発裏ドラありには向いていない」
といった見解を述べていた。

つまり一部のスキルがあるゆえに自身の全体バランスの悪さ=実力の低さが却って見えない物となっていたわけで
結果として彼は競技選手としての稚拙な点を増やし続け実績を全く出せずに引退していったのである。

こうなって来ると、
まだ何も知らない若手、とかよりも圧倒的にたちが悪くなる=伸びしろがなくなるし、成績も出しづらい。
しかも「成績を出せない時期」が長くなると、「今更打ち方を変えるのは自分への否定」という無意味なプライドまで出てくる。
打ち手が打ち方を変えるのなんて長くやってりゃ当たり前で、それを拒む強い打ち手なんているはずもないのに、である。

彼のような例をちょっとだけだが見てきたからこそ
「読み」のような細部技術の大事さ、これをどうやって伝えるのかはいまだに難しいし、
「無視している人が多い方が却って健全」とすら僕としちゃ思ってしまう、
という点も実はあったりする。
それが神格化されてた技術ゆえになおさらである。


さて、ちょっと話が脱線しすぎたので戻そう。
このような背景をふまえても、それでも僕は「手出しツモ切りを見る」という行為を競技選手に勧める、その理由の詳細やお勧めする実践方法、これを改めて次回記事で記して締めとしようと思う。

それを読んで「今からでも読みを頑張ろう」と思う人が出てくれればうれしいが、
この日記で書いたように「あくまで全体のバランスこそ大事」「読みは所詮細部技術にすぎない」という点はお忘れなく。

あと今回の一連記事で話題に上がった「科学する麻雀」のレビュー記事のリンクもはっときます、
興味ある方は是非^^
https://susumutakenaka.blogspot.com/2016/12/blog-post_31.html