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2020年3月31日火曜日

”良い麻雀”って何でしょう? その1

「武中さん」
『ああ、キバヤシさん。最近お会いしてませんでしたね。』
「まあコロナで世があわただしいのもありましたし。回数は減ってますね。」
『なるほど。まあ僕もそうですね。今日は調子はどうでしたか?』
「まあ。可もなく不可もなし、って感じです。。。。」
『なんかモヤモヤしてる感じですね。』
「そうですね。最近、いやここ何年かもう行き詰ってるというか。自分なんてまだまだと思ってはいるんですが、一方で色々な知識は身についてきてる実感もあって、なんというか”これ以上うまくなるっていうのがどういう状態かが解らない”と言いますか。この感覚伝わりますかね?」


『まあわかりますよ。
ある程度実戦経験も積んで、
手役や牌効率もそれなりに解るようになって、
放銃の回避もまあまあできるようになって、
でもブレブレの自分をなんとなーく感じてる、って人は多いと思いますし。
というか世の中の多くの打ち手って大体そんな物だと思いますよ?』

「、、ハイ。正直にそうなんです。武中さんはそういう感覚は無いんですか?」
『まあ僕だって自分の実力に100%の自信なんてないし、不安もあるしバランスだってブレたりしますよ。というか人間である以上ブレは絶対おきますし。
でも”漠然と不安な状態”ってのはもう抜けちゃってますね。』
「それってどうやって抜けるんですか?」
『そんな物は人それぞれではあるんですけどね、やっぱり一番大きいのは”目指す麻雀の姿がある程度イメージ出来てる”かどうかですね。』


「目指す麻雀のイメージ、ですか?」
『はい。それが出来てる域の人って簡単にはぶれないですよ。』
「、、、どうしたらそれが出来るか教えてもらえます?」
『まあ別にいいんですけど、正直にこれはもう競技マニアレベルが考える域の話で、フリーとか大会を適度に楽しむってレベルの人に勧める話じゃないですよ?これを聞いてキバヤシさんが無理に目指す事も勧めません。”勉強すれば必ずできる”ってレベルの話でもないですし。それでも良ければ』
「参考までにぜひ。」


『じゃあまず結論部分から行きます。キバヤシさん。目指すべき麻雀、言うなら"良い麻雀"ってどんな麻雀だと思います?』
「良い麻雀ですか、、、放銃をしないとか、もしくは牌効率的に優れてる、とかですか?」
『まあそれらは評価ファクターの一部かもしれませんがそれをもって”良い麻雀”とは言えないですね。
”良い麻雀”というのはですね、”全体が上手にまとまってる麻雀”の事を言うんです。』

「はあ、全体ですか。」
『はい。
・コンセプト(一貫性)がある。
・それが大前提となるべき状況に適している
→ だから見ていると次の一手が大体予想できて違和感がない
・その一方で途中での柔軟性がある
・細部にも気が使われていて抜かりが無く精密
→ だから良いタイミングで予想を裏切る事がある
それが”いい麻雀”です。』

「なんか漠然としてて解るような解らないような・・・」
『今はそれでいいですよ。僕が言いたいのはそういった全体の骨組みへの意識が大事って点です。』

「骨組みですか。それって牌効率とか山読みとかよりも大事なんですか?」
『両方大事です。麻雀がすごく強い人が時折見せる”すごい放銃回避”とか”すごい手順”っていうのは、そういった山読み等の細かいテクニックは勿論ですけど、それらの引き出しを使い勝負で満たすべき条件をクリアするための術、いわば「対局観」によって生み出されてるんですよ。』
「対局観って言葉は聞いた事あります。」

『多くの人って、そうやって生み出された”和了”、”放銃回避”って結果、いわばその上澄みだけを見て、もしくはそれに用いられているテクニックの部分だけにあこがれて、真似しようとするんです。
”テクニック”ってのはこのご時世だと書籍も多くあるし結構簡単に勉強できる点も多い。でもそれを組み立てるイメージが出来てないと今のキバヤシさんみたいに漠然とした不安を持ちながら、まあそれなりに打てて不安ながらも楽しんでる、って状態になっちゃうかもしれないですね。』
「、、、じゃあ、その段階を抜けるのってどうすればいいんでしょうか?」


『経験積むしかないです。』
「もうちょっと具体的なアドバイスないんですか。」
『まあ勉強方法については無くはないですけど、結局最後は”経験積め”になるし、さっきも言ったようにここから先は競技マニアくらいにしか勧めない領域になってくるんですけど、まあそれで良ければ。』

気が向いた時に続く