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2018年7月13日金曜日

「子育て」ってやつの難しさ

ちょっと前にツイッターでこんな記事を見かけた。
なんというか、まっすぐな子供心が胸にささってちょっと切ない文章だった。
https://twitter.com/joker_masiro/status/1012684573270990849


今37歳になって改めて振り返ると、
自分の両親が自分にしっかり愛情を与えてくれた事は結構解る。
しっかりした家庭で自分を何不自由なく育ててくれた事に感謝も尽きない。

だがそれでも敢えて言えば、
自分たちの両親(特に母)は子育てについて色々と稚拙だったんじゃないかなあ、と思う点もあったりする。

別にこれは僕だけが感じる事じゃないのかもしれない。
だって子育てなんて90%以上の親がほぼ初めての経験、子供を「人生の初心者」とでもいうなら親も「子育ての初心者」という中であれやこれやと努力をする訳だ。
そしてその子育ての方法が正しかったか否かが解るのは子供が大きくなったときであり、PDCAなんて物を回すこともできない。
結果が見えてきたときには既に一人の人間という物が形成されており、失敗の挽回が出来ない点が多々ある、
そう考えると子育てとは恐ろしい。

僕が敬愛する数少ない人間の一人に水谷修さんという教育者の方がいる。
この方は非行に走る未成年の更生等に特に尽力している先生なのだが、
いくつかの講演にて「子育てで一番大事な心構え」を以下の様に述べている

子供を「叱った回数」「ほめた回数」どっちが多いか?
こう聞くとほぼすべての親が「叱った回数」と答えます
確かに叱るという行為も必要でしょう。
でも叱るという行為は実は子育てを簡略化する、つまり「親が楽をする為の手段」として用いられる事が多いのです。
一方でほめるという行為は「ほめるべき部分」を見つける等の労力が必要だし、親としても非常に手間がかかります。
でも子供をほめずに叱る行為を中心にして育てると、子供は「叱られないようにしなきゃ」と減点を恐れるようになります。そして、その子の創造性や人間性はどんどん殺されていくのです。何よりも子供自身が親の愛情のすばらしさを理解できずに育ちます。
言うなら「しっかり子供をほめる事」、つまり「手間と愛情を与えてあげる事」、これは塾に通わせる事なんかよりも子供の才能を遥かに伸ばすことになります。そして優しさや社会性もはぐくむのです。



さて改めて、
子供を叱る親の行為、
これ自体は完全悪ではないが、それでもやはり1回叱るなら1回ほめる、という精神をもつべきと個人的には考える。
これは先述の水谷先生の言う通り、叱るだけの教育がその子の人間性や創造性を削る=親が望むような優秀な子にならない、という点もあるが、
僕としては「子供が大きくなった時、親に好意や敬意を持たなくなる」という危険性を主張しときたい。
何故ならば叱る=減点法をメインとして育てられた子供は、
その子自身も基本的には減点法で他人を評価する人間になる、
そうなると自分をひたすら叱ってきた親を大量の「叱られた」という減点をもとに評価する可能性が高い、と思うからである

僕自身のぶっちゃけ話をすれば、
教育熱心な母親にただひたすら叱られた子供時代を過ごした中、
20代の頃はものすごい険悪な関係を経て、
今父親の色々な介護をしている母の姿を見たり色々と経てようやくちょっと見直してきた、
ってのが偽らざる本音です。薄情なのかもしれないけど。
でも
「生んでくれた恩知らず」
「育てくれた恩知らず」
それを”恩”と感じるかも含めて子育てって難しいんじゃなかろうか、とおもうわけで

でも「じゃあ具体的にどうすりゃいいんだ」なんて僕がこたえられるわけもないw
というか上述の通り、その答えが見えてる人は既に子育てを終えてる人であるケースが多い訳で、、、、
やっぱ人生でこれ以上に「やり直しがきかない」って事象も珍しい。恐ろしい、子育て・・・・


さて今回はそんな子育ての話題から、
「麻雀の教え方」についての話につなげたかったのだが、
長くなったので一旦切る。

続く