ちょっと前に書いた記事の続き
http://susumutakenaka.blogspot.jp/2017/02/1.html
さて放送対局について思うことをもう少々書いてみようと思う。
麻雀界では「魅せる」という単語がよく使われてきた。
いわば「プロである勝ち負けよりも観客を楽しませる事が大事」、
という考えに基づいた打ち筋のススメである。
この考え方自体は完全には否定できない。
麻雀というゲームの結果が結局は運に大きく左右される以上、
「見ている人が面白い物を」という考え方を重視するのは、ある意味正しい。
がしかし正直に僕ごとき若輩者の本音としては、
「そんな事を考えていてはきりが無い」である。
理由を言えば「魅せられる麻雀」の定義なんて、
人によって違う、そしてそれ以上に時代によっても違うからだ。
そもそもこの10年、
ネット社会の普及により一般の打ち手の価値観は大きく変わった。
まず一部のレベルの飛躍的向上が背景としてある。
ネット麻雀の超高段者を中心とした研究集団とそのつながり、
これにより麻雀プロ業界の外からも非常に冷静で客観的な評価を下せるレベルの人達が出てきている事実がある。
そしてその影響で全体の価値観というものはかなり多様化した事実もある。
上記のような辛らつなファンもいれば、昔ながらの「魅せる」が好きなファンもまだいる。
そんな状況の中で、
全てのファンを納得させる麻雀というものは昔以上に難しい時代になっている。
そしてその環境変化に合わせて「魅せるの定義」もちゃんと研究されて変わってきたか?
と考えた時、僕には正直あまりそう見えていない。
改めて、
放送に出る人間が今後どのようなテーマを持って挑むべきか、
これはもう僕の中では単純で「自分の得の為に麻雀をただ打つだけ」である。
「ギャラリーはどうするか」という意見があるとしたら、
まず大前提として言いたいのが、
「信念の為の麻雀」は「勝つ為の麻雀」より難しい、という事実である。
誤解を恐れないで言えば「難しい」というよりも「劣る」という言葉を使いたい。
なぜなら「勝ち」とはこの様々な価値観があふれる麻雀というゲームの中で唯一万人に共通の価値を持ちうるが、「信念」なんていうものは当人にしか通用しない価値だからである。
まあ今後も打ち手は「生放送の批判コメント」というのは避けることができないだろう。
ただ前回の記事でも書いたが、テレビの放送が開始されてから既に90年位なのに対してネット生放送なんて5年程度しかたっていない。あまり過敏に反応するのも意味がないとも思う。
ちなみに最近見て面白かったのは以下ブログ
http://kasakoblog.exblog.jp/22518806/
企業がクレームに振り回される時、
10人中9人の客がこれはいい商品だと思っていても1人の客が「これはダメだ」とわめくと、
ポリシーのない企業はたった1人の声に振り回され、商品を改定してしまったりする。
結果、9人のファンを失うことになってしまう。
大事なのは当人がしっかりポリシーを持つ事なんだろう。
今の僕には無理だが、小島先生のように「魅せる」という事にしっかりとポリシーをもって数十年やれる人もいるわけだ。
そして視聴者の方にお願いしたいのは、
「出来る限り賞賛コメントも打ってね!」であるw
さて大事な事をもうひとつ、
ギャラリー(視聴者)という物について考えた時、
この数年で遥かに重要性が増した(認識された)のは、
対局者ではなく解説者
個人的にはそう思っている。
もうちょっとだけ続く