※連絡先を知らないので取り様がなく^^;
というわけでこんな社会の末端のブログながらも、
もしも苦情が来たら削除します。あしからず。
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さて表題にある通り、今日書くのは私にとって協会に残っている数少ない先輩の一人、、
協会1期生の賀佐裕樹さんであります。
年齢不詳。協会1期からいるので推定40歳。
趣味不明。
職業不明。
僕との接点は特に無く、会話をした事一切なし。
ここまで長く同じ団体にいて一度の会話もない人って、東京住まいのプロの中では賀佐さんくらいの物・・・・
協会員の中でも彼と仲がいいって人をほとんど知らないので、あまり社交的に他のプロと絡むタイプではない模様。
そういえば朝倉ゆかりは接点があるとか言ってたな。
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「じゃあなんでお前この人の記事書いたんだ?」
というツッコミが聞こえそうなのでお答えしましょう。
実は賀佐さん、
地味に数々の協会レコードを持っている方だからです。
まず今回の記事を書こうと思った発端、
今期この方が作った協会記録について紹介しようかと。
まず今期前期Dリーグ最終成績をご覧ください。
賀佐さんが9位で昇級しております
https://twitter.com/ClubNPM/status/896296971580751873
そして次に、
当協会の福井さんが趣味で作ってる以下データをご参照ください。
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1zZkqhFdDH8oda1UK1hw-EfUt-bwJOZIhtOJDm8x6kMA/
これにより判明したのですが、
賀佐さんは今期の昇級が16年目の協会選手生活において初となっております。
※最高位在籍時代もあったはずなので、その時は昇級していると思われる。
しかも彼は協会在籍からの16年間リーグ戦に皆勤で出場しており、
今回が23期目のリーグ戦、
23期目および16年目にいたっての”初昇級”、これは文句無く協会新レコードであり向こう10数年破られる事は無いと思われます。
なんせ1期から在籍していないとそもそも樹立できなかった記録、
そして女流しか出てない人や地方所属に似た年数の記録はありますが、ここまでの皆勤者が樹立というのは、次点をさがすのが面倒になるほどのずば抜けた記録なわけです。
まあ一つこの背景を書くのであれば、
賀佐さんは協会デビューがB1リーグ、
つまり極めて昇級しにくい所からスタートし、何回もの残留をしている点にあります。
そういった特殊事情もなければなかなかに難しいこの記録なわけで。
そして他にも幾つか賀佐さんの持つレコードを紹介。
まず在籍したリーグ数
B1, B2, C1, C2, C3, Dと6個のリーグを渡り歩いており、
これはA~C3を渡り歩いている土子、岸本、岸、綱川、矢島、小川、仲林、田内、蔵と並ぶ協会最多タイ記録となっています。
まあこれはその内破られるでしょうが。
そしてリーグ戦出場回数。
後期C3リーグが24回目のリーグ戦となり、これも近藤千雄と並んで協会最多タイ記録。
しかも千雄が現在通期リーグのB2に所属している事、賀佐さんが半期リーグ所属であることを考えるとおそらく来期単独首位になる見込み。
※次点の23回が宮崎 信一、橘 悟史、赤塚 修の3名。
ちなみに第7期に賀佐さんがB1から降級したときは、
”別卓”の浪江さんに最終日390P差を逆転されたという悲劇的な事もあったりしました。
これも推定ですが「別卓者に逆転された降級の最多ポイント差記録」なのではないかと。
さて、こうして改めて見て、
長いキャリアの中で改めて賀佐さんが色々な協会記録を持っている事が今回判明し
僕は素直に「競技を愛してるんだろうなあ」と感動を覚えてちょっと記事にしてみたわけです。
以前に違う記事で書いたのですが、競技の成績というのは所詮水物です。
協会で言えば土子みたいに、それなりのキャリアのある中堅がいきなり昇級を続けてAリーグに行く事もあれば、
長い間Aリーグにいた人がいきなり降級を続けて下位リーグに行くこともある。
そこからまた這い上がってAリーグに行くケースもあるんですね。最高位戦の宇野公介さんとかその典型かと。
淡々と競技を続けた末に作られたいくつかの記録、これは本気で賀佐さんの誇るべき足跡だと思うし、同じ競技選手として敬意を払ってます。
これからもこの記録を更新して、そしていつか上位リーグでまた戦う賀佐さんをちょっと見たい。
そんな思いを込めて締めくくりたいと思います。
・・・でも冒頭の通り、
賀佐さんご本人がこの記事不快に思ったら消します。
ご本人様、もしも何かありましたらご連絡ください^^;
とりあえず協会16年目にて初の会話を今度試みようかな、、、w