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2017年8月28日月曜日

真の麻雀バカって類は大体は競技選手になってしまう、というお話

雀荘メンバーと麻雀プロは切っても切れない関係にある。

現状では麻雀プロという肩書きは独立して生計を立てる事が出来ない以上、
大多数のプロは何かしらの生計手段を持っているわけで(当方の場合は会社員)、
その1つの選択肢としてメンバー業が当然あるわけだ。

というか、
若くしてメンバーになるヤツは麻雀プロの肩書きをもっている人の方が多数ではないだろうか。
このゲームを生活の中心として置く以上、そこに承認欲求を持つ事も、その為の手段として麻雀プロになる事を選ぶ事も、至極当然に思える。

そして「メンバー業」というのは麻雀に求めらる技術の高さという点では、
麻雀プロよりも過酷な環境にさらされているともいえる。

勝てないメンバーは色々な面から仕事を続ける事が難しい。
長年安定した成績を残せるメンバーというのは言うまでもなく技術的にも精神的にも強い人が多い。
そしてそういった「強いメンバー」というのは麻雀プロの間でも知られている人がいたりする。

例えば現Aリーガーの仲林圭はその典型だった。
協会の試験を受ける前から、彼は幾つかの雀荘にて既に名の知れた凄腕のメンバーであり一部プロの中では名の知れた存在だった。
そして数年後の彼の実績はその技術力を証明しているともいえる。



さてその一方で、
強メンバーとして名の知れた存在でありながらも麻雀プロにはなろうとしない人というのも数多くいる。
「店のシフトの都合」
「金銭的な旨みがない」
人によって理由は様々だが「麻雀で生きる事を選ぶ ≠ 麻雀プロになる」という事では必ずしもない。
麻雀はあくまで金銭を稼ぐ為の道具、と割り切るのも自然な思考の1つだろう。

そして改めて、
今年の最高位戦クラシックを獲得した日本プロ麻雀協会の堀慎吾
彼も都内の雀荘業界でかってその名を知られた強メンバーだった。

鈴木たろうが昔店長をしていた中野の店とか、幾つかの雀荘にて安定した成績を残し続けるメンバーとして、多くの若手・有名プロがその名を知っていた。
が、彼が日本プロ麻雀協会の門をたたくのは、僕が彼を知った8年ほど後である。
彼が協会の名簿にいるのを見て「何で今更」とか思った物だw

まあこういうヤツは他にもいる。
当協会のB1リーガーである千貫 陽祐とか、
今や最高位戦女流のトップである大平 亜季とか。

「何で今更プロになったの?」という僕の問いに、
堀は「あんま意味感じなかったけど、やってみたくなってさ」と言っていた。

でもその後に幾つものタイトル戦にほぼ皆勤で出場している姿を見て、
普段ののらりくらりとした態度の裏側に、案外強い承認欲求があるんだろうなあ、とかちょっと思ったりもした。

麻雀打ちとして十分な評価を業界関係者には受けている。
生活するうえでは何も困らない。
でもそれだけじゃやっぱり人は満足できなくて、
オーバーな言い方をすれば片山先生の「牌賊!オカルティ」にあるように、
「自分の名前を刻んでみたい」という欲求にかられるのだろう。
それが人間なんじゃないかなあ、とか思ったわけだ。


というわけで、8/26(土)はそんな堀さんの名前が競技麻雀史に刻まれたわけであります。
前日に「頑張れよ」ってラインしたら
「まあ流してりゃ大体勝つ」とかいう返事が来た。
どう考えても流してなかった。見ててすげーハラハラだったw

でも改めて堀さんおめでとう。
やっぱり自分が強いと思う打ち手が勝ってくれるのは嬉しい。
そんな事を思った一日だった。


しかし最近協会員がオープンタイトルで強いねえ。
松本といい佐月といい近藤千といい、
僕もなんか決勝とか残りたい・・・・

おまけ:
ちなみに僕が堀さんに会ったのは第7期優駿杯(棋士会主催のオープンタイトル)のベスト16、
今から13年前です。

当時20代前半の僕は、
どうも堀さんに自分のリーグとかを偉そうに話してたらしい。
その事をまーったく覚えてなかったのが、それを数年後にその事を指摘された時は「自分にもそんな時代あったのね・・・」とか顔から火が出るほど恥ずかしくなったw
そしてその大会のベスト8(準決勝)のトーナメントで、
大接戦からチョンボして吐きそうになりながら会場を後にしたのは今でも良く覚えている・・・・・・(--;)