ちょっと前回の日記に続いて学生時代の話を書こうと思う。
僕が麻雀プロになり、日本プロ麻雀協会に入ったきっかけ、
まさにそのきっかけといえる一人の男としりあったのも青山学院だった。
協会第一期新人王であった「宇野達矢」という男である。
彼と初めて出会ったのは中学生の頃、
ゲーム好きの我々はなんとなくウマがあい仲良くなり、
高校の時に再度同じクラスになった際、ともに麻雀にのめりこむ事となった。
多くの同級生がいた中でも、彼と僕の嵌り具合は群を抜いており、
実際に僕がフリー雀荘にデビューした時も、
彼がいつものように「麻雀を打とう」と言って僕を誘い、
いきなりフリー雀荘に連れて行かされたのが原因だった。
あの時の「なんでいきなり知らない人と。。。。」と、激しく緊張しながらも必死で打った事は今でも良く覚えている。
まあ、三日後からは一人でフリーに行くようになってしまったがw
そんな彼は僕より1年半ほど早く麻雀プロの門戸をたたき、日本プロ麻雀協会で第一期の新人王となった。僕はそんな彼の誘いもあり、数ある団体から協会を受けて今にいたるのである。
思えば学生時代そして麻雀プロになる前、
僕の中で彼の立ち位置は特別だった。
当時は今のようにインターネットやSNS等もまだ未発展の時代、
麻雀を通して不特定多数の人と知り合うなんて容易ではなかったし、
戦術研究だって今より圧倒的に進歩してない時代だった。
麻雀について話が出来る場所も相手もたかが知れてた。
そんな中で彼は唯一麻雀についてまともな議論レベルの話をできた仲だったのである。
そしていきなり現在の話となるが、
彼とはもう10年近くまともな親交が無い。(何回かばったり会って挨拶くらいはしたが)
正確に言えば僕の方から疎遠になったのである。
今でも彼は年賀状をくれるが特には返信もしていない。
別に彼の事が嫌いになったわけではない、
疎遠になる直前に、軽い喧嘩もあったけど、数年前ならその後にすぐ仲直りしただろう。
疎遠になった理由は単純で
「麻雀についての話が合わなくなってしまった」
これだけである。
ビックリするくらいに単純だし、
はたから見れば「そんな事で長年の友人関係が疎遠になる事があるのか」とも思うだろうが、
僕の中では事実なのだから仕方が無い。
それは協会に入って数年経った頃だった。
僕は既に協会内に多くの知人がいたし(この頃から大浜・須田あたりとは交流が多かった)、
麻雀についてもそういった人と議論をしながら、色々と研究を続け麻雀づけの生活をしていた時期である。
一方彼は就職先の関係で協会を退会する。
長年のなじみであり「唯一学生時代から見てきた自分よりも麻雀バカな人間」が業界を去ることにちょっと驚いたが、
もともとが学生時代の幼馴染、彼が退会してからも数年はそれなりの親交もあった。
しかし徐々に徐々に彼と僕はウマがあわなくなっていき、最後には彼の麻雀の誘いを断ったのがきっかけとなり完全な疎遠となった。
しばらくした後に彼の事を思いだし、「何故こうなったのか」と理由を考えたとき、
僕らは10年以上、麻雀という媒体を通した会話ばかりをしていた事、
そしてそこに対してギャップが生まれた時に、徐々に関係に歪みが出ていた事、それを思い知ったのである。
その頃既に僕の周りには麻雀について多くを語れる友人がいた。
そして彼と僕の知識量はどんどん離れ、だんだん話もかみ合わなくなっていった。
別に彼の事が嫌いになったというより、
彼との人間関係を維持する努力をするのが億劫になってしまったという方が正確だ。
そしてちょっとした火種で破裂してしまったのである。
この事を思い出すと、
自分が異常だったのか、
彼が異常だったのか、
僕らの関係が異常だったのか、
別に良くある事なのか、
麻雀を通して築いてきた人間関係の根幹が無くなった時にこうなるのか、
とか色々と考えさせられる。
今まわりには麻雀業界を通して多くの知人・友人がいるが、
麻雀界や麻雀という媒体がもしもなくなったとしたら、コイツとどういう関係になるんだろう、
そんな恐れを僕の中に抱かせるエピソードでもあった。
「だから現役を続けている」と言われればそれは1つの解かもしれない。
彼がもしもtwitter等をやっていれば連絡も取れたが、
あまりそういったものが好みではないらしくネットにて姿を見た覚えも無い。
上記のそんな彼が毎年律儀にくれる年賀状にも、ものぐさな僕は特に返信もしていない。
我ながら薄情だw
学生時代、そして今の自分を振り返り、
思い出さずにはいられない彼の事を思い出して、
「来年もしも年賀状きたら返信しようかな。んで10年ぶりに飲みに行くかなあ。」
そんな事を思いながら学園のキャンパスを歩いたのであった。