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2018年9月14日金曜日

「人間」は結局「人間」に惹かれる というお話

ちょっと前にネットで見つけた以下の記事が興味深かった。

eスポーツ転身アナが熱く語る「実況」と「解説」の違い
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56897

eスポーツという日本ではなじみに薄いジャンルを「喋りのプロ」という形でもりあげていこうと朝日放送テレビを退社し専門会社をたちあげた方のお話。
一番賛同したのが「ライト層を引き込んでいくために大事になるのが、各選手の人間性、生き様やドラマを実況で伝えていくことだ」という点である。

麻雀について考えてみても、
そもそも世間の多くのファンは「麻雀の内容だけで選手を評価する」という事が出来ない。

言うなら観衆の99.9%は、
「誰が打ったか」で麻雀の良し悪しを”多少なりとも”判断し、
「誰が喋ったか」で解説の良し悪しを”多少なりとも”判断している。
単純に麻雀や解説の質”のみ”で判断が出来る人は業界関係者のごく一部、言うなら同業の職人さん達くらいだろう。

別にこれは麻雀だけじゃなく将棋や囲碁、スポーツ、そして芸術分野を見てもそうである。
結局人間は提供された物よりもその背景にある「人間」や「ドラマ」って奴に強く惹かれるのだ。
ちょっとそれを実感させる例としての記事を今日は書いてみようかと思う

さて唐突だが皆さん以下の絵をご存じだろうか。

クロード・モネ作「日傘を差す貴婦人」である。
まあこれを初めてパッと見て「名画だ」と感じるような人ってどれくらいいるかちょっと知らないが、
この絵についてのエピソードをちょっとだけ紹介したい。

モネは19世紀に生まれた印象派を代表するフランスの画家だった。
多くの名作を世に残しているが、特に有名な作品といえばオランジェリー美術館の「睡蓮の部屋」、
部屋中がモネの「睡蓮」によって彩られたまさに「作品という名の空間」である。


印象派は簡単に言うのであれば当時の芸術分野で主流だった写実派に対抗するもので、
従来の絵画に比べ明るい色彩や荒いタッチを使う事で、光の動きや変化の質感、モチーフの「印象」を主軸に描画をするのが主な特徴である。
モネは印象派の巨匠として当時、そして今も多くの人に愛されており、絵画芸術の歴史において欠かす事の出来ない人物だ。
が、彼の一生は激動の物だったことでも有名である。

彼が従来の絵画とは一線を画した新たな作風を世に出し始めた当時、
画壇の中心を牛耳っていた多くの保守的な芸術家達がその作風を激しく批判した。
彼はそういった批判にもめげずに旧来勢力と戦い続け展覧会を連続して開催し、
1880年代には「印象派」は芸術界でも認められた存在になりその第一人者として認めらる。

が、その戦いの中での1879年、
当時まだ世間の批判に晒され続けていた中で妻のカミーユが病死する事となる。
その当時の彼の強い失望は所々に記録されている。(彼女の死に際の顔=デスマスクを描いた作品も有名だったり)


さて、冒頭の絵「日傘をさす貴婦人」は、
その妻カミーユと息子ジャンを1875年に描いた作品である。
柔らかい日差しの下にいる家族、
モネと幸せな家族との暖かい時間が伝わる一枚。
そして既述の通りその4年後にカミーユが病死するのだが、
更にその7年後、モネは2枚目、3枚目の「日傘をさす貴婦人」を描いている。
※描く際のモチーフは後の二人目の妻アリスの連れ子


だがこれらには1枚目との大きな違いが幾つかある。

表情が全く見えず塗りつぶされたかのような顔
人物と風景の境界が曖昧にぼやけた1枚目とはっきり異なるタッチ、
モネはこの絵を亡き妻カミーユへの追憶と惜別として書いた、というのが有力な説である。(彼自身はそれを明言はしなかった)

そしてこの作品以降モネは人物画を描いていない。
「日傘をさす貴婦人」は彼の家族そして亡き妻への愛が伺えるエピソード持つ絵として、
今でもモネを語るうえで欠かせない作品と言われている。

さて、
この長い記事をここまで読んでいただいたそこの貴方、
改めて冒頭のこの絵をもう一回見てください。

ちょっとだけこの絵が名画に見える気がしてきた方がいるんじゃないでしょうか?^^;
そう見えた方、それは別に正常な感覚の一部です。人間ってそういう物。
そこにある無機物よりも、その裏に存在した「人間」に惹かれる、それが自然なんでしょう。


さて、
じゃあ近々の日記で、今期の雀王決定戦をより深く見ていただける様に、
各選手の人物紹介でも書きますかね。
・・といっても仲林とか金とか既に書いたからその旧記事紹介しつつ、
必要分追加する感じになるでしょうが^^;

< とりあえず時間ないので本記事はここまで。