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2018年12月25日火曜日

協会の雀風とは何か?(第17期女流雀王決定戦最終日についての感想など)

以前別記事でも書いたのだが、
競技麻雀には二つの思考の潮流がある。
・勝ち負けの結果が何よりも優先されるべき
・勝ち負けの結果よりも大事なものがある
http://susumutakenaka.blogspot.com/2018/07/m90.html

どちらを好むかは人によって結構傾向が異なる。
その好みの傾向はタイトル戦決勝って奴においてさらに顕著になる。

早い話、決勝には巷のフリーのような「引き分け」と呼べるポジが無く、「優勝」「その他」に大体分類されてしまう。
だからこそどうしても終盤に「目無しポジ」が出てくる中、
従来から「目無しは出来る限り勝負に影響を与えない打ち方が大事」という思考があった。
まあこれは自然ともいえる。

が近年この考え方も変化しつつある。
「2,3着を狙うのは罪ではない」という考え方が出てきたのもあるし、
それ以上に
「徹底的に優勝を目指すのであればやる事は実は簡単には0にはならない」
「どんな打ち方をしようとも卓にいる以上結局は勝負に影響をもたらす。だったら全力で自分の利を追うべき」
麻雀界全体の研究がすすみ、こういった事実が認知されてきた点が大きい。

協会員は特にその思考が強い人が多い団体、と個人的には思っている。
そして僕としてはこれは鈴木たろうの影響が大きいとも思っている。
彼の思考を知った多くの選手が「最後まで泥臭く自分の利を追及する事の大事さ」を知り、
それが今の協会の風潮にもつながっている、のではないだろうかと。

言うなら、
泥臭くてあきらめが悪い、
それが協会が築いてきた「協会の麻雀」なのかもしれない。


先日12/23、
第17期女流雀王戦最終日、
ここに書いてきたような協会の麻雀を象徴するような、
そしてそのレベルの高さを知らしめるに十分な素晴らしい内容だった。

優勝は逢川恵夢、
(自称)若干23歳での新しい女王が誕生した瞬間である。

その逢川の体裁を気にしない必死の逃げ切りをはかる姿、
それを最後まで追い詰めなりふり構わない勝負を続けた水瀬の姿、
最後まで優勝をあきらめない態度で国士を和了した中月の姿、
それに放銃してもあきらめずに戦い続けた朝倉の姿、
「激戦」という内容がふさわしい最終日、

一見どこにでもいるようなきれいに着飾った女の子たちが、
その姿からは想像もできない位に必死に泥臭く勝ちを求めてなぐあってる、
そんな戦いだった。

いや、なんというか。
年の瀬にいい物みせてもらったな。
「協会の女流は強いんです」と堂々と宣伝したい、そんな内容だったと思うし、
「こんな気合いに入った麻雀を見せられたら自分も負けてられない」、と刺激をうけた一日だった。
まだ見てない方はぜひとも。
そして逢川さん、改めておめでとうございます。
https://freshlive.tv/threearrows-ch/250846

さて、
ちなみに最後にちょっとだけ気になって調べてみた重大な事実を書こう。

今回話題になっている逢川の(自称)協会史上最年少女流雀王記録だが、
よく見たら第一期の手塚紗掬さん(現連盟)は23歳よりさらに若くして獲得していた(実年齢とかはwiki見りゃわかるがここでは書かない。)
つまり逢川は残念ながら史上最年少女流雀王ではなかった。仮に自称年齢(23)が事実だったとしてもだ。
私も知らなかった大事な点なのでこれは改めてここに記しておきたい。

逢川さん、
ネタを通す為に今から自称年齢を18歳あたりに変更する手もありますよ。
考えてみてください。